明治時計/6インチ虎斑杢小型スリゲル掛け時計
新規追加 2010年12月18日
 
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概略寸法 全高38cm×幅20cm×厚み12cm
文字板 6インチ/オリジナル・ペイント文字板
仕 様 8日巻/渦ボン打ち
時 代 大正末〜昭和初期頃
 
明治26〜7年頃、名古屋の資産家(実業家)横田栄三郎、大沢徳太郎、竹内六次郎らにより時計製造を目的に会社設立の準備が始まります。しかし、諸々の思惑など絡んでかなかなかスムースに事は進まず、後に松岡善兵衛らがそれを受け継ぎ「明治時計製造合資会社」として明治28年設立されます。

設立後すぐ時計生産は順調に展開します。しかし、当時すでに始まっていた過当競争に巻き込まれ、一時販売不振を余儀なくされました。それを他メーカー同様日露戦争など戦時下における信管など軍需産業需要が支え、一時は時計を大きく上回る利益を上げていました。後の太平洋戦争では軍需関連施設として大打撃を受けますが、戦後、疎開先の工場からいち早く時計製造に復帰し昭和40〜50年代頃まで各種時計を製造します。明治時計は時計産業の中京を代表する古時計会社の一つです。

カッチリ丁寧に作られた虎斑杢(とらふもく)仕上げが大変美しい時計です。シンプルな直方体筐体の側面にはスリゲル形ではお馴染み、窓付き3面ガラスとなっています。小さい割にズシッと手応えある重さで高級感もたっぷり。これで香箱機械が付けば・・・・っと言うのは贅沢でしょうか?
 
 
入手時外観
入手時外観

パッと見外観はなかなかきれいです。
裏面を除く5面すべて虎斑杢仕上げのきれいな外観に文字板ガラスは曲面ガラス、振り子室ガラスは面取りガラスとなっています。側面の窓はゆらゆらで、ガラスはすべてオリジナルのままでしょう。斜めに見たり指で触ると杢模様は凸凹になっています。全体に経年の黒ずみはありますが、目立つ傷みはありません。

裏面に書き込み等はなく、大きなラベル跡と上部に白く小さなラベルの痕跡があります。同種時計から明治時計で良く見る大きな英文説明ラベルと、「PASSED」という小ラベルの貼られていたことが分かっています。
 
入手時内部
入手時内部

内面いっぱいのぶっとい渦ボンがひときわ目を引く筐体内部です。ボンボン時計という俗称に相応しい「ボ〜ン」という太い音は筐体の大きさからは想像できません。
めっき仕上げの巻き鍵は不明ですが、振り子はオリジナルでしょう。
 
文字板
文字板

ブリキにペイントのオリジナル文字板です。多少の汚れやシミ、けっこうな数の小傷などありますが、状態はまずまずです。
裏面には昭和23年の修理歴と、一緒に書いたと思われる丸K(OK?)記号、「アヲレ」と読める書き込みがあります。半田付けは外した跡もなくオリジナルのままです。
 
入手時機械
入手時機械

まったく油っ気無い機械です。これじゃーまともには動かないよね・・・・って感じ。
8〜10インチ八角や頭丸と同じ大きさの、筐体内寸いっぱいに入る機械です。地板左上にお馴染みロゴと、左下両地板に「7」の刻印。時計側3番車表面、4番車裏面軸受けにやや強めの修正があります。それ以外は特に補修された様子は無く、油っ気無かったためほとんどの鉄部材にはそれなりの錆が出ていました。
 
メンテ後機械
メンテ後機械

それではと洗浄&注油メンテを行い、機械に目立つ問題はありません。専用設計かどうか?小さい筐体の中で目一杯振り長を伸ばした機械です。
 
筐体傷消し補修
筐体傷消し補修

自立する筐体であることから置き時計としても使用されたことがあるようです。底面にはスレによる曇りと小傷がいっぱい。簡単に傷消しペンで補色し目立たないようにしています。いずれにしろ壁掛け状態では目立たないんですけどね。
 
機械取付など
機械取付など

メンテ済機械を筐体に取り付けます。
機械もボンも筐体内寸いっぱいであることが良く分かります。錆びた渦ボンにミシンオイルを塗り、文字板取付板の割れていた左側を接着補修しました。
 
筐体構造
筐体構造

外観は扉3mm、側面2mm厚の虎斑杢突板を贅沢に使用し、写真のようにすべてソリッド板で作られています。後年良く見られる合板は使用しておらず、扉の裏面も丁寧な作りに好感が持てます。また巻き鍵以外はフルオリジナルと思われます。

試運転を行い、1回のゼンマイ巻き上げで10日ほど問題なく動きます。時間も良く合い普段使いにも良さそうです。
 
虎斑杢
虎斑杢

順番が逆になっちゃいましたが、最後に筐体を拭き上げ家具用ワックスで仕上げピッカピカ!
この写真では虎斑杢面の凸凹が良く分かると思います。ガラスは弱いゆらゆらガラスです。
 
 
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