精工舎/8インチ花飾り金筋八角掛け時計
最終更新 2009年 9月 5日
 
レストア完了外観
概略寸法 全高48cm×幅30cm×厚み11cm
文字板 8インチ/ペイント文字板
仕 様 8日巻/渦ボン打ち
時 代 明治30年頃
 
精工舎(服部時計店)は明治25年、創業者服部金太郎により東京市本所区石原町に産声を上げます。翌年には同区柳島町に移転し、それまでの家内工業的製造から動力を導入し本格的な時計製造が始まりました。工場移転後の発展は目覚ましく、10年を経ずにして早くも国内トップクラスの大時計メーカーに成長しています。今や世界に冠たる「SEIKO」ブランドとなったセイコーホールディングスの礎は、この頃より着実に築かれ続けて来たと言っていいでしょう。

明治時代中期、広いとは言えない日本の一般家庭でもようやく掛け時計の普及が始まります。それが掛け時計としては小型に分類される8インチ(文字板径20cm)サイズで、床の間の柱や玄関などにもちょうどいい大きさです。この時計はペイント文字板、振り子室ラベル、機械など精工舎最初期の特徴を多く残しており、創業後まだ間もない時期に作られた時計と思われます。1世紀あまりを生きて来た国内時計産業黎明期の時計です。

筐体表面に真鍮製の花をあしらった飾り金具と金筋が入り、振り子室扉のガラスにはだいぶ色褪せていますが牡丹の花絵が残っています。普及が始まったとは言え当時の時計はまだまだ高級品です。そんな中でも「うちのは隣とはちょっと違うぞ」的な、一つ上の高級感と所有欲をくすぐる時計だったと思われます。
 
 
入手時外観
入手時外観

細かなヒビ割れのある前面化粧面ですが、多少のスレや汚れはあってもそれなりに塗装ツヤもあり、時代からすればそれほど悪くありません。画像にはありませんが側面はきれいなツヤが良く残っています。紛失の多い花飾りも揃っており、ほとんど消えかかっていますが一応金筋もわずかながら残っています。振り子室扉ガラスの牡丹の花絵は表から見るとだいぶ色褪せてるものの、裏側はそれなりに鮮やかでした。振り子はオリジナルと思われ、巻き鍵は後年の他社製でしょう。

筐体裏面にラベル跡や書き込みはありません。掛け金は縦2本留めです。

全体に目立った当たり傷や破損もなく、時代からすれば十分良い方でしょう。時計として一応動くはずでしたが、入手直後は何度動かしてもすぐ止まっちゃいました。
 
文字板
文字板

ブリキのペイント文字板はオリジナルと思われます。画像では見にくいのですが細かいヒビ割れがびっしり。現状で剥がれ落ちるほどではないものの、数カ所に小さな傷みがあります。明治30年前後を境に精工舎のペイント文字板は手書きから印刷に変わるようですが、この文字板で細線部分などルーペで見るとよれや膨らみなど太さの不均一が見受けられます。そんな過渡期の文字板のように思えますが、他を見てないので筆者に確かな判断は出来ません。尚、24時間表示の赤文字に関しては後年、昭和期の戦時中に手書きされたものに間違いないでしょう。

お馴染み「鍵穴にS」の左右ではなく、上に取り巻くように「TRADE MARK」と入る精工舎最初期のロゴです。文字全体に擦れや多少の色あせはありますが遠目にそれほど悪くはありません。まずは年代からすれば十分満足いく範疇です。
 
振り子室
振り子室

振り子室は土埃で白けて見えますがオリジナルラベルが状態良く残っています。ボン台にも精工舎の刻印がはっきり。ラベルのロゴは「扇にS」で、文字板の「鍵穴にS」とは異なっています。どちらも精工舎の商標に間違いありませんが、今と比べると表示はだいぶおおらかに考えられていたようです。
 
牡丹のガラス絵 ガラス絵裏側
ガラス絵

振り子室扉のガラス絵は牡丹ですがご覧のように表からはかなり色褪せて、特に中央の花はなんだかよく分かりません。でも裏から見ると右写真のようにそれなりにきれいに残っています。以前は表からもこういう感じで見えていたのでしょう。
周囲の金筋はまずまず残っていますが、黒バックの塗装はほとんど落ちています。補色塗りするのは簡単ですが、ここまでオリジナルが残ってると手を入れるのも迷うところ・・・・^^;
 
入手時機械 地板刻印
入手時機械

文字板を外して現れた機械もなかなか時代を感じさせます。振りベラは写真のように下から突かれることで曲がり癖が付いていて、特に移動時の梱包が悪いと簡単に曲がっちゃいますので注意が必要です。当初すぐ止まっちゃう原因もこれでした。

余談ですがネットオークションなどで梱包された荷物として入手する場合、出品者が必ずしもその辺に詳しい方ばかりとは限りません。時には無造作に丸めた新聞紙などと一緒に振り子や巻き鍵を振り子室に押し込み、それ故振りベラを曲げてしまうということが多々あります。動くということで入手した時計なのに、送られて来た時計はまともに動かなかったというのは大概こんな単純な理由です。

地板に精工舎の刻印はありませんが、これも同社初期機械の特徴のようです。代わりという訳ではないでしょうが、右下のナット横に「サ」というカタカナと思われる刻印がありました。同じような刻印は日本に限らず各国の古時計でも多々見られ、大概は工場記号とか製造年とか、いわゆる缶詰などにあるロット番号に相当するものと思われます。
ってことはひょっとして申年?・・・・だとしたら偶然かどうか明治29年(1896年)申年製か?
 
機械 筐体内部
機械と筐体内部

ボンの打ち数を設定する数取車がゼンマイ軸の上に付く古いタイプの機械です。希少な石原町時代の機械の特徴を多く残し、創業間もない頃の機械であることが分かります。この機械が示す年代と上述の文字板や振り子室ラベルが示す年代が概ね一致しており、申年かどうかはともかく明治30年前後〜半ばくらいまでの時計であることは間違いないでしょう。

よくある軸受け(ホゾ穴)ガタ止めのポンチ跡は裏側地板にわずかにあるのみで、経年の割に大変状態良く大事に使われてきたことが分かります。メンテと言っても振りベラの曲がりを直し、清掃&注油のみでOKでした。

右写真で筐体への機械の取り付け穴も4個所のみで、オリジナルの組み合わせと思って間違いないでしょう。筐体内部は掃除の必要もないほどきれいでした。この時計では文字板裏も含めて、よくある修理歴などの書き込みが一切ありません。
 
再組立
再組立

機械を元通り取り付け他の部品も順に組み上げます。筐体も水拭き&ワックス掛けコースで仕上げましたが、さすがに写真に撮ると表に出ていた部分と隠れていた部分で1世紀を越すくすみがクッキリ。元々あったであろう輝きも振り子室周りから察することが出来ますね。
 
試運転 花飾り
試運転

1回のゼンマイ巻き上げで丸8日間は調子良く動き、まずは動作に問題ありません。注油による潤滑回復のせいか地域差のせいか、振り子の重錘も入手時よりだいぶ下がりました。ボンの音も「ボ〜ン」と「ビ〜ン」が混じったような、いい意味で昔風の渋い大きな音です。

ただこの時計、傾きにはかな〜り敏感! 筐体の下側で左右に数mmとズレを許してくれません。よ〜く垂直・・・・って言うか、動作音を聴き分けながら合わせないと数分と経たず止まっちゃうこともあります。あらためて機械の雁木車とアンクルを確認するとその噛み合わせがけっこう深く、それ故振り子が大きく振れる半面傾きには敏感だと言うことでしょう。

最後に、文字板と針を付け直してレストア完了したのが最初の写真となります。

ちなみに、外観のほとんど消えちゃった金筋は八角部分の花飾りを繋ぐ細線と、振り子室周りの面取りされた輪郭部分に入ります。現物では写真のように痕跡程度・・・・^^; 拭き掃除するたびに少しずつ薄くなりついには・・・・ってところでしょうか?
花飾りとなる鋲は5枚花弁の桜か梅と思われます。
 
新規追加 2009年 2月15日
 
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