誤解  No.01 9802
 
バッハのピアノ曲(クラヴィーア曲)に平均律曲集というのがある。グノーの「アベ・マリア」で伴奏曲として使われたりしているので、聞けば誰でも「あー、これ」とわかる曲も含まれている有名な曲集である。
ショパンやリストの練習曲集などと違い単純なフレーズの繰り返しが多く、技術的にはピアノを習った人なら小学生でも演奏できると思われる。ところがいっけん簡単な曲だけにクラシック界お得意の、いわゆる芸術性を持って演奏するとなるととたんに難しくなるとされている。ピアノ音楽界でも巨匠の域に達しないと公での演奏や録音はしないという代物なのだ。
ピアノ音楽の旧約聖書とも呼ばれ、そこいらの新人が手を出してはいけない、神聖な曲集と崇め奉られているのである。
子供の頃の、まことに奇天烈・奇妙にしか聞こえなかったフリージャズ。鶏の首を締め上げた、あるいは猫を踏んづけたような奇声・奇音による不愉快極まりない音楽。断片的な超ハイノートのキンキン音を鳴らしたて、不協和音を打ち鳴らし、時にメロディもなけれがリズムもハーモニーもあったもんじゃない。
いったいこんなもののどこが音楽なのよ。あの程度のことは音さえ出せれば俺にだって出来るじゃねえか。
さてそこで、モダンジャズ界の巨匠ジョン・ルイスである。ジャズピアノの巨匠10指に入るかどうか、まあ20指くらいには入れても文句はないだろう。そのルイスが初めて、かの曲集を公に取り上げ録音したのが84年であったと思う。
80年代半ばというとすでに私は20代後半。本来クラシック愛好家でもある私にとってルイスがジャズへの第一歩であった。まずはおおかたの予想通りといったところだろう。ああ、やっぱりねと思う方も多いと思う。
実際、ルイスがバッハの曲集を発表してなければ子供心の強烈な印象から、ジャズへの一歩は更に遅れていたことと思う。まったく幸いなことに私にとってのルイスは、クラシックとジャズの橋渡しを違和感なくしてくれた人物となったわけである。
一般に一言で「ジャズ」と呼ばれてしまうが、古くはラグタイムやディキシーランドジャズから、最近のフュージョンやその他の亜流も含めまことにその範囲は広いようだ。私はその中の一カテゴリーのためにジャズ全体を20年近くにわたり誤解していたようなのである。ジャズに限らず、今、流行の音楽も5年後10年後はどうなっているかわからない。今の利益を得るために業界全体が流行に向かうのもわからなくはない。しかしその結果誤解を招く恐れのあることも忘れないでほしい。
 
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