これに異論を唱える人はいない(だろう)。
もちろん、一番見ていい山、なんて言うと侃々諤々の意見が飛び交うだろうことは分かっている。
だから「一番」とか「もっとも」とは言わない。
端正な円錐型は富士山の代名詞である。
国内でも羊蹄山、岩木山、開聞岳などなど、均整のとれた立ち姿は見て美しい山の代表格と言える。
加えてこれらの山は単にその姿・形ばかりでなく、周辺風景と見事に調和することでも折紙付き。
妙にとげとげしく自己主張したりせず、さりとてほどほどに目立つところが他との調和に欠かせないようだ。
だって成層火山だから・・・・なんてヤボなことを言ってはいけない。
人はどっしり落ち着き、秀麗に裾野を延ばす姿に安定と安心を感じるらしい。
斯くして○○富士は全国に散らばり、地域のシンボルとなり、その数は枚挙に暇がない。
群馬にあって富士山はある種特別な羨望の対象となることがある。
平野部など県内の多くの地域では関東山地が盾となり、ほとんど富士山は見えない。
赤城・榛名など、ある程度標高のある山に登らなければ見えないのである。
だからそのような山に登ると、なに気にほとんど無意識に筆者など探したりする。
真っ先に富士山を指し示したりすれば、「ホントだー!」と感謝されたりするのだ。
毎日のように見ている地域の人達からは想像出来ないだろうな。
しかしそんな本家富士山を、筆者は決して登ろうなどとは思わない。
所詮伝え聞く範囲からの想像には違いないのだが、一生見るだけで終わる山のトップであることにもはや疑いの余地はない。
その姿同様変化に乏しい単調な登りと、人だけが往来し動植物に乏しい(っていうか森林限界以上ではほとんどない)山ではちょっと・・・・^^;
たとえ日本一の標高でも、天下一のご来光が望めようとも、その過程は筆者にとって苦痛以外の何者でもない。
筆者は何より状況の変化を楽しむ人間なのだ。
結果よりも過程が楽しいのである。
バリエーションなら1時間後、1分後、1秒後、何が起こるか分からない。
だから神経を行き渡らせ、時には全身に緊張を強いる。
それはしかし疲労でもストレスでもなく、筆者にとってワクワクドキドキの高揚感をもたらすもの。
なのに富士登山では・・・・
せめて2〜3時間で登れれば我慢も出来るが?
見ていい山、富士山。
遠くから眺めていい山、富士山。
登る山ではない。 |