小幡風景繪はがき |
新規追加 2008年 6月 5日 最終更新 2008年 6月28日 |
およそ70年ほど前、昭和10年頃の「小幡風景繪はがき/其一」を紹介します。 一地方のたかだか二万石という全国的にはまったく無名と言っていい小さな城下町に、当時このような絵葉書があったとは驚きです。下のたとう画像にも「其一」とあるようにセット違いで数種のバージョンがあったと思われ、実際、甘楽町サイトにも同種絵葉書の復刻版が紹介されています。 尚、それぞれの絵葉書画像の下にあるカラー写真は2008年6月現在の様子です。 |
たとう 絵葉書が入っていた袋です。 上述の甘楽町サイトの絵葉書とほぼ同じデザインの袋で、こちらがオリジナルのようです。「其一」という記述からも幾つかあるセットの中の一つであることが分かります。上毛小幡保勝會という組織から発行されたようですが、その組織がどのような会であったかは分かりません。今で言う観光協会みたいなものでしょうか。 |
熊倉山の暮雪 甘楽町轟(とどろく)の雄川を挟んだ高台より見たと思われる熊倉山方面です。 ちょっと分かりにくいのですが右の山裾に宝積寺の屋根が見え、真っ直ぐ延びた参道も分かります。現在の宝積寺は銅葺き屋根ですが、当時は檜葺き(茅葺き?)だったのかと思われます。 左手の山頂に立つのはなんでしょうか?別項の昭和15年地図を見ると、この山頂には針葉樹を示す「独立樹」という地図記号があります。位置関係を考えると大変な巨木かと思われますが、残念ながら現在はありません。 手前の民家は換気や採光を目的とした養蚕農家独特の越屋根(こしやね)が3個所付いており、現在でも小幡の古い農家ではよく見かけることが出来ます。 下写真は絵葉書には写っていませんがすぐ近くの民家です。この付近でも一際目立つ大変立派な越屋根を持っています。 |
国峰城山の晴嵐 山城として有名な国峰城のあった城山(じょうやま)です。 「晴嵐」との葉書名や木々の様子から春先の写真でしょうか。現在では植林や雑木に覆われた城山ですが、当時はかなり上まで山畑として耕作されていたようです。ちょっとした山村風景といった趣ですね。 |
連石山秋の月 長厳寺(ちょうごんじ)とその裏山にあたる連石山の写真です。 雄川を挟んだ対岸より撮られたものと思われます。長厳寺は現在銅葺きの屋根ですが、当時はやはり檜葺き(茅葺き?)だったようです。最近は裏の崖に日本一の摩崖仏があることでも有名なお寺となりました。またその連石山には遊歩道や所々石仏などもあります。ちなみに、いくら見回してみても月は見えません・・・・^^; 下写真で夏の今は木々が生い茂り長厳寺は見えません。左下の白い軽自動車の後ろに、絵葉書と同じ寺へ登る階段やスロープがわずかに見えています。また、左奥の山は小幡富士です。 |
紅葉山眺望 雄川を挟んだ小幡西方にある小高い紅葉山(もみじやま)から町方面の展望です。 遠景のなだらかな山は八幡山。現在の紅葉山は大きな桜やもみじに覆われ展望はイマイチですが、当時の山頂付近はまだ大きな木々もなく公園として造成された直後かと思われます。 絵葉書に写る冬枯れの木は樹相から明らかに植樹間もない桜と思われますが、下写真でほぼ同じ位置にある2本の木はいずれももみじです。絵葉書の松も現在ではありません。どうも当時の木は1本も残ってないのかな?。すっかり苔むした石碑が時代の流れを感じさせます。 |
清水橋畔の流蛍 小幡の西を南北に流れる雄川に架かる清水橋の写真です。 橋の上から6〜7人の人物がこちらを見ていますが、雄川に乱舞する蛍の群れを見ているようです。・・・・っと、絵葉書名から推測していましたが、一連の絵葉書写真にはいずれも広葉樹に葉の茂りが見られず晩秋から早春にかけての写真と思われます。したがって葉書名と写真の季節感は必ずしも一致していないようです。 橋上左側には馬の姿が見え、後方の檜葺きと思われる建物は宝泉寺です。雄川は現在に比べ川床がだいぶ浅いようです。橋下の水平な石積みのような川原や流れの見えない水面の様子から、当時は堰堤となっていたのかもしれません。 現在の清水橋は県道富岡・神流線の橋となっています。右岸に遊歩道が整備されたこともあり、現在の流れは当時よりだいぶ西側(写真で左側)によっているようです。また宝泉寺は瓦屋根に替わっています。 |
下城址 小幡北端にある河岸段丘上の小高い丘です。 松の下の人物の大きさで全体の大きさも想像できるでしょうか?。小幡は北に開いた城下町ですので、その防備や見張りのために築かれた出城や砦跡かと思われます。 現在は貸し農園として人気を博している甘楽ふるさと農園の北端に位置し、すぐ北側には上信越自動車道が通っています。 |
小波多社前の桜花 地元では一般に八幡様(神社)と呼ばれることの多い小波多(おばた)神社の参道です。 ちょうど小幡の桜並木中ほどにあり、後ろには八幡山が控えています。写真の桜も杉並木も現在は残っていませんが、最近新たに植えられた桜が育ってきています。 |
永仁古碑 各地にあるらしい永仁の碑の一つと思われます。 いわれはまったく分かりませんが永仁というと1293〜99年ですから、鎌倉時代の後期頃でしょうか。 色々調べましたが甘楽町サイトにも情報無く、史蹟指定もされてないようで現存しているのかどうかも不明です。8枚の絵葉書中唯一場所も特定できません。順光の写真、バックの山と杉林などから現在調査中です。 |
昭和15年8月発行小幡付近地図 |
快く画像をご提供下さいました高崎市のYさんに感謝申し上げますm(_ _)m |