金縁(金箔張り)時計について
 
金四ツ丸時計
 
金縁(金箔張り)の時計には独特のオーラがあります。
なんてことない八角合長でも、それが金縁となるだけで格段に目立つ時計となるものです。その派手さ故、好き嫌いは別れるところとして、一般的な木地塗り仕上げと比較し高級品であったことは間違いありません。

但し、この種の金縁時計では本物の金箔張りと、コストを抑えるための真鍮箔や真鍮被せ(特に四ツ丸等ではサクソン(SAXON)形と言われる)、更になんちゃって金色塗装などあります。共に単独で見ているとその輝きもほとんど気になりませんが、並べて見るとそれはもはやまったく別物。たとえ薄くはなっても、やはり本物金箔に勝る物はないでしょう。
 
昭和の戦前〜戦中の物資不足&戦時体制となる一時期、超有名なスローガン「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ」「一億火の玉」などという社会風潮がありました。公に指示された訳ではないのでしょうが、みんな一緒を良しとし気をまわす日本人は隣組の目もあり、何事もこんな時は仲間意識からか波風立たせないように動くもの。時計の世界でも影響は免れず、この派手目な輝きが災いし既出京都時計のように上からニス塗りされたり、酷いものでは削り落とされてしまったものがけっこうあるようです。その意味で、たとえ剥げ剥げでもオリジナルの風情を残す金彩、金縁時計は大切に扱いたいですね。
 
ってことで私見、あくまで筆者個人の考えですが、

金箔が薄くなったり剥げ々だからって、絶対になんちゃって金色塗装なんてしないでください。
金色に限らずですが、一度塗りはじめちゃったら途中でヤバッ!っと思っても元に戻すことはできないのです。

良く見慣れた金色も実際はかなり特殊な色だと言え、いわゆる色の3要素(色相、彩度、明度)だけでは言い表せない「輝き」または「反射」などという要素も重要です。それは単に鮮やかさや明るさという指標とも異なる非常にデリケートな要素であり、残念ながらそれに見合う一般市販塗料を筆者は知りません。また素地に対する金箔の密着は塗料と比較し、ここでも非常にデリケートで薄いものです。後から塗り足した塗料だけ剥ぐなんて都合のいいことははっきり言って不可能なのです。
拙いながら筆者が見た例では見栄えが上がるどころか周りの木地塗りとの時代バランスがまったく崩れ、輝きも色合いも経年の渋さもすべてにおいて不自然さが増すばかりと思いました。金色という明るく輝く色彩だけによほどの熟練者でもなければ刷毛目や塗りムラは防ぎきれず、いかにも塗りましたって感じは隠すことが出来ません。ある程度遠目で見てもその違和感は変わりなく、金箔と金色塗装ではどんなに似せてもまったく別物になってしまいます。

アンティークでは酷い塗装傷みに良かれと思っての上塗り塗装さえ嫌われることが多く、透明ラッカー等も含め後塗りは間違いなくマイナス評価となります。ましてそれが金箔に変わってのなんちゃって金塗装とあっては多少落ちるかなレベルではありません。外観評価は確実にゼロ査定になると覚悟して下さい。ごく部分的な補色程度であればそれこそ程度問題とも言えるかもしれませんが、マイナス評価となる考え方は変わらないでしょう。。
もちろんアンティークとしての外観査定であって、とにかくきれいなら良しとする向きには高評価になるかも知れませんが。

また、アンティークにもかかわらずまったく不自然なほど、全体をピッカピカにレストアされた古時計もよく見かけます。一般には外観重視とは言え果たしていかがなものでしょう? 時代を歩んできたアンティーク故の風合いや雰囲気を消してまで、必要以上きれいにする意味があるのか筆者は疑問に思います。オリジナル状態を再現するという意味の汚れ落としや磨き込み、または現状からの傷みを防ぐという意味のメンテは当然アリとして、普通に見苦しくない程度にレストア出来てれば上塗りしてまでピッカピカに仕上げる意味があるのでしょうか?
まあ、それを言ったら国宝だって塗り直しの彩色なんて良くあるじゃん!って言われそうではあるけど・・・・^^;^^;
 
最終更新 2016年 9月10日
追記更新 2012年12月10日
新規追加 2012年 9月 1日
 
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