山登り事始め   981001  No.15

 

記者 : 「今日は天野さんが登山をするようになったきっかけを教えてください。」

天野 : 「ここ小幡(甘楽町小幡地区)の南には通称「南山」っていう東西に連なる山脈があるだろ。小学生の頃の俺にとって最大の謎は、毎日見てるあの山の向こうに何があるんだろうってことだったんだよな。
昭和40年代ってことになるけどまだまだ車の普及率も低いし、そう誰かに連れていってもらうっていう時代でもない。実際、富岡市以外の隣町は行ったことさえなかったし、行動半径は2〜3km。近くの山までクワガタ採りに出掛けたり友達の家に行ったりしても、精々5〜6kmの範囲から出たことはなかったろう。」

記者 : 「まだ僕が生まれる前ですからねえ。」

天野 : 「そういうことになるかなあ。
で、そんな時に学校で群馬の南には関東平野が広がり、その先には東京という大都会が日本の中心都市としてあるってことを知ったんだよな。
へえー、そうなんだーって子供心に思ったもんよ。
さて、そうなるとあの南山のテッペンから、その関東平野と東京とやらを眺めて見ようじゃねえかと思うわな。自慢じゃねえけど好奇心だけはその頃から異常に強かったからな。それで小学4年か5年の時だったと思う。件の山に挑戦したわけ。」

記者 : 「きっとワクワクしてたんでしょうねえ。」

天野 : 「俺には小学校に入る前からすでに放浪癖があって、さっき例外と言った富岡の親戚の家まで6kmくらいの道のりを一人で歩いていったりしてた。たぶん親には相当心配かけたんだろうけど、小さい頃からそんな調子だったからワクワクしたと言うより、なんか使命感みたいなものがあったと思うな。「これは俺に課せられた努めなんだ」てな感じのね。」

記者 : 「そう言う意味じゃませてた?。」

天野 : 「いや、所詮子供の浅知恵の範囲だからませてたなんていう大それたもんじゃない。ただ興味を持ったことは周りのみんなに先駆けて一番乗りで知るのが好きで、人の知らないことを自分が知るということにその頃からもう優越感として感じていたんじゃないかな。小学校に入る頃には知りたがりの基本的な性格はすでに決まってたと言っていい。それでも知ったかぶりって言われるのが嫌だから、人から聞かれるまでは自分からはほとんど答えない人間だった。聞かれれば知ってる限りのことは何でも話しちゃうけど、そうでなければ積極的には発言しない嫌な奴だったよ。」

記者 : 「嫌な奴ですねえ。」

天野 : 「おまえなあ、自分で言うのはいいけど、人に言われると傷つくんだぞ。
まあ、それで南山だけど、白倉神社って知ってるだろ。」

記者 : 「ええ、天狗で有名な。(国道)254の脇に大きな天狗の面と鳥居の有るとこでしょ。」

天野 : 「そうそう、お天狗様とか天狗山って呼ばれてるよな。今は神社自身が下界に下りて国道から1.3km程入ったとこに社殿があるけど、昔はそれが南山の中腹にあって旧社殿あるいは本殿としてちゃんと今でも残ってる。俺が小学生の頃にあんまり山奥のせいかご神体ごと里に移されちゃったんだけど、そこまではけっこう遊びに行ってたから南山自身になじみはあったわけよ。
問題はそこから先だわな。
確か晩秋の頃だったと思う。出掛けましたよ。ナタや例の玩具カメラを持って。
家から田舎道と山道合わせて5〜6kmの距離を歩いてまずは白倉神社本殿まで。そこから通称「大平」っていう山火事跡までいったん下り、正面のほとんど道なき急登をたぶん1時間近くかけて登ったよな。
やっと頂上付近になったら左からはっきりした林道のような道があって。あれっ、これって街から道みたいに見えてたとこかなと思った。その道を右に進むといよいよ切り通し状の峠になって、今思うとやっぱり相当ワクワクしてたな。」

記者 : 「でしょう。やっぱり。」

天野 : 「うん、確かにワクワクしてた。やっとこれで一つの夢が叶うって。東京も関東平野も見られるぞって。
ところがさあ、ええっー!、なにこれー!?。」

記者 : 「どうしたんですか?。」

天野 : 「峠に出たら平野があるべき眼下に、と言うより眼上にもっとずっと高い山があったの。
ショックだったよなあ。当時生まれて10年ほどしか経ってないけど、それまでで一番ショックだった。南山の向こうはもうすっかり平野だと思いこんでたもんなあ。
深い谷を挟んだ正面にそれまで見たことないようなスケールの山がドーンとあった。俺は小さい頃から大概のことには驚かない人間だったけど、これは驚いた。自分がそれまで見てた範囲ってこんなに狭かったのかと痛感したよ。もともと群馬は海なし県だからいつも周りにあった山が遊びの中心だったわけだけど、オーバーに言えばそれまでの単なる遊びが興味に変わった瞬間かもしれねえな。
たぶん今の登山やツーリング好きはその時のショックが知らない土地に行って見知らぬ物を見たい、あるいは経験したい、という好奇心にいっそうの火を付けた結果だろうね。
後から調べてわかったんだけどその山こそ西上州の名山、御荷鉾(ミカボ)山で、正面にドーンと控えてたのが西御荷鉾山。左には東御荷鉾山が続いて、右にはオドケ山が鋭く高かった。
2〜3年前、たぶん四半世紀ぶりくらいに南山の(小幡から見た)最高峰「熊倉山(896m峰)」に登ったんだけど、当時苗だった檜が今ではすっかり大きくなって、峠から南面の展望はまったくなくなってた。それでも北面は山頂肩の露岩上から何とか見えたけど、もう少し経つとカラマツが伸びてこちらも厳しくなっちゃいそう。
会社のページに小幡の街を見下ろした写真があるけど、あれはその時撮ったやつ。」

記者 : 「子供の時のそういう経験て大きいですよね。」

天野 : 「ちなみにここから見える山々は南から時計回りに、先の南山・赤久縄山・稲含山・他の西上州の山々・荒船山・妙義山・浅間山・浅間隠山・榛名山・上州武尊山・赤城山などなど。御荷鉾山は富岡市の郊外まで出ないと見えない。ごく最近、先月の台風一過の時に気付いたのが燧ヶ岳。武尊と赤城の間に遠く双耳峰が見えていた。恥ずかしながら今まで全然気にとめずにいて今回初めて気付いたよ。
まあ何で山が好きなんだって言われても困るけど、結局さっきの経験がいい意味で一種のトラウマだったとは言えそうだよな。」

記者 : 「そうかもしれませんね。」

 

玩具カメラで撮った昭和43年頃の写真

左)南山より北面の富岡市方面  中)同北面の小幡方面  右)同南東の雨降山
昭和43年頃の南山からの展望
左)同南面の東御荷鉾山  中)同南面の西御荷鉾山(右)  右)同南面の耳二つ山(現サンフィールドGC)

現在の南山全景
現在の南山全景

 

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