よく知られる情報と無視出来ない情報  990101  No.19


天野 : 「情報の中には同じものを指してても結果的によく知られる情報と、あまり知られないけど無視出来ない情報があるよな。」

記者 : 「はい、・・・・・まあ?。」

天野 : 「普通、物事を正確に判断しようと思ったらやっぱり情報は欠かせないよね。しかもより正確を期すなら情報も正確でなくっちゃいけない。間違った情報や、いわゆる俗説を信じて結果的に間違った判断をしちゃったらかなわねえだろ。俺が好きな登山を例にとれば、場合によっては生死に関わるようなことだってないとは言えない訳で、取り返しの付かないような羽目になったら後悔してもしきれないよな。それこそ悲劇になっちゃう。
だから俺は登山に限らずほとんどすべてにおいて、いつ誰が言い始めたかわからない風説・俗説の類はいっさい信じないし、言い出しっぺはわかってもその根拠が怪しいような情報ではまったく動かされることはない。たとえ日本中の人が右を向いても、自分でその理由が理解出来なかったり怪しいと思えば躊躇なく左を向くだろう。日本人の民族性について世間一般に言う、「仲間に入ってないと不安を感じる」という心理が俺にはまったく理解できないんだよね。」

記者 : 「確かにそれはそれで一つの見識ですよね。たとえば何か例があったら上げていただけませんか?。」

天野 : 「そうだなあ・・・・・、登山関係だったらたとえば、きれいな夕焼けの翌日は晴れなんてウソ。山の天気はそれほど単純じゃない。元々平地で言われてたことが山にも入って来たんだと思うけど、そもそも統計的には平地でだって必ずしも当たってないらしい。同じ天気予報だったら気温や風の変化を読んだ方が正確だろう。
それから登山道ですれ違うとき、かなりのベテランでも登りがいつも優先するんだって思いこんじゃってる人が案外多いのには驚く。某有名山の登行中、長蛇の列と遭遇したとき相手のリーダーがさあ、「登り優先だよー」のかけ声で一斉に道を譲られちゃったりして。正直困っちゃったよ。その場所がこっちから見て急斜面の登りでさあ、相手のパーティーはと見れば40〜50人はいるんだもん。かと言ってこちらがその全員を待ってても大変。要するに臨機応変に何回かに分けてすれ違った方がお互い効率的な訳で、どこで仕入れたのか妙な(ひょっとしてどこかのマニュアル本の?)マナー情報の思いこみだと思うんだけどね。」

記者 : 「登り優先っていうのは僕もそう思ってたけど、ケース・バイ・ケースってわけですね。」

天野 : 「そう言うこと。別にそれが決まりだなんて難く考えなくていい。その場の状況に応じて自然環境に負荷をかけないよう、周りの人々に迷惑とならないよう互いに対処すればいい。ひょっとしたら先輩か誰かからの教えを守ってるのかもしれないけど、譲り合いの心を持って互いに接すればいいじゃねえかってね。」

記者 : 「リーダーとしての使命感がそうさせたとか。」

天野 : 「まあ、そんなとこだろうな。もちろん好意には受け取ってるけどね。
他に知られない「情報」としての本題ならこんな話もある。
昔から銅の錆である「緑青」は猛毒だと言われて、実際にはほとんど確かめられることもなく、今でもみんなそう信じこんじゃってるよね。でもほんとは最近の研究じゃほとんど毒性のないことが確認されてるんだよね。
あとはたとえば、日本人の平均寿命が戦後毎年更新を続けて、今や世界一を独走してるって言われてるよね。
一般的には高齢者が多くなってみんな長生きするようになったからって言われてるよな。確かに人口比率がピラミッド型から釣り鐘型になって、最近では少子化でむしろ頭でっかちになりつつあるってよく言われる。まあ、長生きする人が多くなって平均寿命が延びてるのは間違いないわな。だけどほんとは一般にはあまり言われないもう一つ大きな理由があるんだよね。特に日本の戦後ある時期、急激に延びた平均寿命の理由はほんとはこちらの方がずっと大きい。」

記者 : 「どういう理由でしょう?。」

天野 : 「結論から言うと、生まれてすぐの乳幼児の死亡率が圧倒的に下がったこと。
一昔前の大家族時代の人に聞けば思い当たる節もあると思うけど、昔は6人兄弟、8人兄弟なんてのがザラで、多い人では10人以上なんていう兄弟を持つ人も少なくなかった。その頃でも日本の医療水準は決して低くはなかったと思うけど、経済的、あるいは環境的な理由で誰もが適切な医療を受けられたって訳じゃないだろう。特に戦争前後では食糧難とも合わさって結果として乳幼児の死亡率がけっこう高く、兄弟中に生まれてすぐとか、子供の頃に病気で死んじゃったなんて人が以外に多い。
ところが現代の日本では、わずか1キログラム以下の未熟児でもかなりの可能性で生き残ることが多くなったよね。医療の整備に伴い10歳くらいまでの乳幼児生存率は、当時とは比較にならないほど向上してることだろう。」

記者 : 「たぶんそうでしょうねえ。」

天野 : 「昔、平均寿命が50歳とか、縄文時代なら十歳前後とか言われてるだろ。じゃあ、その時代の人々は平均寿命を過ぎればみんなバッタバッタとすぐ死んじゃうのか?、と言うとそうじゃない。当時から70歳80歳の人はいたし、それは発掘された遺跡などからのいろんな証拠でもわかってるらしい。もちろん割合的には現代よりずっと少ないだろうけど、それでもちゃんとその頃でも長生きする人はいたんだよね。
注意してほしいのはいわゆる発展途上国の人々の平均寿命が低いのは、高齢者が少ないというのが主な理由じゃない。ほんとの理由は乳幼児の死亡率が先進諸国に比べて圧倒的に高いから。問題はここを押さえているかどうか。
日本人の平均寿命がどうのこうのと言う時、高齢化社会を控えて、ほとんど長生きするようになったことばかりが言われるだろ。だけどそこでもう一つの隠れた理由を知ってるかどうかは、世界の国々の実状を理解する上ですごく重要だと思うんだよな。
一般的に言われてることばかりが常に正確に的を射てるとは限らない。もちろん多くの場合それも一つの理由には違いないだろうけど、むしろ言われないところの情報も知らないと総合的な判断は出来ないってこと。
俺がいつも言いたいのはそこなんだよね。
地球温暖化も環境ホルモンもオゾン層破壊も、情報発信する側の責任は大きい。それが重要な問題ならばなおさら。緊急に結論を出さなければならない問題がいくつも差し迫っている現在の状況もよくわかる。ましてそういう情報を知った我々素人が心配を抱くのは当然だろう。だからこそ一方的論調でどちらかを代弁するのでなく、客観的報道を聞きたい。
危ないと言われたらその裏付けが有ろうが無かろうがとにかく省く?。それも一つの考え方だろう。でもその場合、代替えもなくそれが無くなったときの不便を承知しなければならない。たとえ代替えがあっても、コストアップになるであろうことを容認する覚悟だって必要なはず。もしその覚悟が無いなら、うわべだけかもしれない情報で結論を急ぐことは、時には危険と考えることも必要だろう。うがった見方をすればやり玉に挙がった企業や個人を陥れる、対抗する組織の戦略かもしれない。専門家はともかく、我々多くの素人が頼る情報源は限られているんだから。」

記者 : 「やばいなあ、またマスコミが怒られそうだなあ。」

天野 : 「いやあ、そんなことないよ。色々言ったってほんとは俺くらいマスコミに期待を掛けてる奴は居ねんじゃねえか。期待してるからこそ言いたいことも出てくる訳で、わかる人にはわかってるよ。」

記者 : 「僕は全然わからなかったなあ。なんか恨みでもあるんじゃないかと思ってましたよ。」

天野 : 「よく言うよなあ。この愛情ある心根が理解出来ねえようじゃおめえもまだ若いな。」

記者 : 「悪かったですねえ。まだ二十歳代ですからねえ。」

天野 : 「まあね、俺も昔は馬鹿だったから。今でも利口じゃないけど。
頭の回転が異常なほど鈍いから、それこそ臨機応変にひらりひらりと事をかいくぐることが出来ねえんだよな。だから何が苦手って、リアルタイムの議論では絶対に勝てない。っていうか勝ち負けはともかく、いくら自分の意見に自信があっても相手を説得するだけの言葉が、リアルタイムではその場でポンポンと浮かんでこない。」

記者 : 「そうは思えませんが?。」

天野 : 「いや、ほんとにそうなの。生まれてこのかた口喧嘩で勝ったことがない。口だけで世の中わたってきた人間を何度うらやましいと思ったことか。ああ、俺にあの話術があればって。」

記者 : 「そりゃ皮肉ですよ。」

天野 : 「皮肉言えるくらいならいいんだけどねえ。おまえの周りにだっているだろ、そういうの。」

記者 : 「まあね」

天野 : 「この野郎、ろくに知りもしねえくせにって。」

記者 : 「います」

天野 : 「だろ。俺の周りにもいるんだそういう奴。この話聞いたら気付くな。」

記者 : 「いえ、そういう人は自分のことまったくわからないんです。」

天野 : 「言うねえ。そういうことにしとこう。」

 

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