チャイコフスキー 交響曲第6番 「悲愴」
〜クラシック音楽の醍醐味を味わうために〜
最終更新 2006年11月12日
 
家庭でこの曲「悲愴」を体験しようと思ったら音量を上げないと意味がない。世間を敵に回しても40〜50分だけガマンしてもらおう。めんどうなことは抜きにして、とにかく最初は録音がいいというCDを買ってみよう。なにしろクラシックもポピュラーもあらゆる音楽をひっくるめて、音量的に感情的に最もダイナミックレンジの大きな曲がこれである。チャイコフスキーって奴は強いを意味する「フォルテ」記号を、5個も6個も重ねて平気で楽譜に書いた野郎である。おまけに弱いという意味の「ピアノ」記号もそうだ。
第一楽章の出だしは非常に静か。「あれっ?音してるかな?」と思ってしまう。「運命」とは違うのだ。いきなり「ジャジャジャジャーン」とは出ない。「パラパラパーパー パラパラパーパー」と始まる。同じ出だしが2回繰り返した後、なんとも落ち着きのない旋律が盛り上がってくる。この辺でオーディオ装置の音量調節をしっかり済ませておこう。必ず「うるせーなー」と思うくらいにセットする。ちなみにスピーカや耳を壊しても私に責任はありませんよ。念のため。
何度かの起伏の後ひとしきりして、再び徐々に静まっていく。なんだもう終わりか?と思ったらまさに思う壺。チャイコフスキーのにやつく顔が見えるようだ。突然「ジャン・ジャジャジャーン」と入ってきてびっくりさせられる。それからが激しい。一大スペクタクルの展開である。すべての楽器がここぞとばかり思う存分吠えまくり動きまくり主張しだす。ストレス解消にはもってこい。理屈抜きに音を浴び続ける。至福のひとときである。そのうち不気味にドロドロと響くバスドラ(ティンパニ)の伴奏のもと、トランペットの咆哮を聴くようになる。感情をひっつかんでガタガタ揺すられるように感じる。この絶頂感、これがいいのだ。
続いて弦楽器が徐々に押し寄せる。何度か聴いたテーマが流れてくる。それまでとちょっと違う雰囲気。それで正解。ここは流れに身をまかせ、さっきの興奮を静めるところ。
そのうち弦の伴奏をバックに金管楽器が鳴り出してくる。ちょっと寂しそうな音調で聞こえるはずだ。「ははー、ぼちぼち終わりだな」と感じさせる。これも正解。やがて第一楽章も静かに終わりとなる。
第二楽章はワルツである。乗るに乗れない5拍子なのだが、我々一般人には関係ない。ロシアのワルツ王と言われたチャイコフスキー。そのワルツを楽しめればそれでいい。変に小難しい理屈を考える必要などまったくない。途中ちょっと気分が変わるがすぐ元に戻る。チャイコフスキーも同じ気分じゃもたなかったのだ。何しろあの第一楽章の後。退屈させちゃまずいと思ったのだろう。苦心したはずだ。
第三楽章はやけに威勢のいい行進曲。最初はチョロチョロ出しては引っ込め出しては引っ込め、「テメーはストリッパーか?!」ってツッコミを入れたくなる。チャイコフスキーの性格そのまんま。でもだんだん本調子になってくると脱ぎっぷりも・・・?じゃない、音楽も快調快調。それはもうすこぶる快調に突っ走る。そうなったら安心して手足を弾ませよう。そのうちシンバルが待ってました!!とばかり、「ジャーン」と鳴るようになる。後は理屈抜き。それでOK。
第四楽章はまた起伏が激しい。いきなり「どよーん」と落ち込むような出だし。その後も同じような傾向が続いていく。「悲愴」という題名はこの楽章から取ったとも言われている。2回ほど大きく盛り上がるが決して悲愴感の消えることはない。例のやたらフォルテ記号を付けたのもこの部分だ。やがて臨終のドラが響き消え入るように曲は終了する。
・・・・って言うか、いつ終わったか分からない?!・・・^^;。コンサートなら指揮者のゼスチャーで分かるんだけどね。
くどいようだが、小音量ではルール違反ですぞ!。耳をつんざくほどの大音量で楽しむ。これはこの曲の絶対条件である。「聴く」のではない。「体験するんだ」っと言ったでしょ!!。
 

推薦盤

ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
1960年録音 独グラモフォン盤(ポリドール)

録音年代こそ古いが当時としては最高の録音で、現在聞いてもまったく問題ない。
尚、手持ちの盤は古いため、CD番号が変わっていると思うので省略させていただく。

 
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