マーラー 交響曲 第3番 |
最終更新 2005年3月10日 |
〜オーディオマニアのために〜 |
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長い曲である。指揮者にもよるだろうが全曲を演奏するとかるく1時間半はかかる。何しろ第1楽章だけで30分はあるのだ。モーツァルトやハイドンの交響曲であれば、それだけで1曲が終わってしまう時間である。曲そのものもマーラーの交響曲の中ではマイナーな方で、さらに悪いことに一部楽章には彼お得意の声楽入りである。これでは普通、「馴染みがない」と敬遠されてしまうのも無理がない。かく言う私とて全曲を続けて聴いたことは、レコードを買った直後の一度しかないほどだ。 |
それでは何が魅力なのか?
乱暴を承知で言えば、まずそれは第1楽章に凝縮されていると換言してもいい。ついでに言うならその中でも冒頭からしばらくの間である。マーラーの交響曲はいずれも大管弦楽団による演奏を要し、これまた乱暴な言い方をすると「劇的でハデ」な曲が多い。世紀末的音楽と言われる所以もそういう所からなのだろう。この冒頭部はまさにオーディオ的極みを具現するかのような音楽なのだ。
この手としてはリヒャルト=シュトラウスの「ツァラトストラはかく語りき(「2001年宇宙の旅」と言った方が一般的か?)」が有名であり、どちらもその冒頭部は荘厳な日の出を現していると言われている。 |
オーディオ的魅力がこの長大な交響曲最大のウリなのだ。 |
曲はまず金管楽器のファンファーレが大きく鳴り響くところから始まる。まさに「さあ、始まりまっせ」という合図そのもの。ひと鳴りした後バスドラが割り込み、シンバルがシャーンと乾いた音を一発。
静まった後ドロドロ・ドロドロとバスドラが凄みをきかせる中、トランペットがふた吠え。すぐ弦楽が崩れ落ちるような音型でたたみかける。
葬送行進曲を思わせるような旋律が続いていき、しばらくは金管が吠え狂うこととなる。
再び静まりドドドン・ドドドンというバスドラの響きが聞こえ始めると、今度は今までとまったく違ったひょうきんな旋律。
やがて静かだが、よりそれっぽくなった葬送行進曲が復活し、また静まっていく。
突然の一発(何となく予感はするはず)。静まるとひょうきんな旋律も復活。後は行進曲風に続いていき、冒頭のファンファーレが今度は伸びやかに気分を変えて現れたりしてくる。やがて元気な金管が旋律を作っていき曲は進んでいくこととなる。
・・・・っとまあ、この辺まででやっと第一楽章前半の15分程。
このコラムでは数分程度の一気に読み飛ばせる長さを目安にしており、以下あまりに長いので省略・・・・^^; |
さてこの曲の再生で問題になるのがオーディオ装置の低音再生能力と分解能である。
再三出てくるバスドラのドロドロした響きはなかなか再生が難しい。ミニコンポではよほど音量を上げてもまったく聞こえないかもしれない。
50Hz以下の、出来れば30Hzは再生可能なスーパーウーハーでもあるといい。うまく再生出来たときの効果はオーディオ的ダイナミズムを堪能出来ることだろう。
オーディオマニアならエンヤの「ウォーターマーク」を御存知の方も多いと思う。あのCDに入った超低音が再生出来る程の装置なら最適である。
分解能も同じ。何しろ大編成のオーケストラ曲だ。それもマーラーが腕をふるった極上のレシピである。音の重なりも分離も響きも、更に声楽まで加わるとあれば存分に楽しんでほしい。 |
尚、別項であげた「悲愴」と同じく、この手の曲は出来る限りの大音量で楽しむことを忘れてはならない。
もちろん、スピーカーや身体に異常が生じたり、近所迷惑となって怒られても責任は持てない。
念のため。 |
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推薦盤
サー・ゲオルグ・ショルティ指揮シカゴ交響楽団(1982年録音)
すでに20年以上前のものとなるが、その録音の優秀性は今でも折り紙付き。
長大なこの曲ではCDでも二枚組となるが、この盤なら超廉価盤(限定盤?)で2000円になってると思うのでご安心を。 |
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