ペルゴレージ 「スターバト・マーテル」
〜時には感傷的になりたい人のために〜
 
宗教音楽である。
日本ではおよそ特別な行事の時以外、一般的にはほとんど意識することもないであろうあの音楽である。おそらく人気の面でもっともマイナーな部類に入ってしまう音楽に違いない。それでも「レクイエム」ならモーツァルトやヴェルディに名曲がある。ただ「スターバト・マーテル」となるとこれはもう一部の人たち以外、ほとんど聴かれる機会がないと言っていい。
はたして録音してもどの程度採算がとれてるのか?人ごとながらいらぬ興味までわいてきてしまう。
もっとも、欧米のキリスト教圏ではごく一般的な音楽なのかもしれない。
ここで言う宗教音楽もキリスト教系のクラシック音楽を指して言うことにする。
宗教音楽には「レクイエム」「スターバト・マーテル」「テ・デウム」など、訳はわからんが何やら呪文のような題名の付いたものが多い。これはそれぞれの曲(詩)の歌い出しがラテン語のこの言葉で始まる一連の作品を指してこう呼ぶのである。レクイエムで始まる詩を元に作った曲は、誰が作ってもレクイエムと呼ばれるのだ。だから誰々のレクイエム、誰々のスターバト・マーテルと呼ばないと曲の特定が出来ない。
ちなみにスターバト・マーテルは「Stabat Mater dolorosa・・・」で始まり、その意味は「悲しみに沈める聖母は涙にむせびて・・・」となる。
その「スターバト・マーテル」だが、先の訳詞からもわかるように、十字架上のキリストを見つめる聖母マリアの悲しみを切々と綴った詩(曲)である。内容が内容だけに当然のごとく抑えた、心の琴線にしみいるような曲調となるのが一般的。ペルゴレージによるこの曲も例外ではない。
モーツァルトが生まれる前、わずか26歳で死んでしまうペルゴレージがその最後に書いた遺作であり、最高傑作がこの「スターバト・マーテル」なのだ。同じく遺作となったモーツァルトのレクイエムとも共通する部分も感じられ、それもキリスト教圏のなせる業なのかとも思える。
曲はソプラノ独唱、アルト独唱、それに両方での二重唱が適度に並んだ12の小曲から出来ている。この手の曲の個人的善し悪しは私の場合、ほとんど冒頭の第1曲と終曲で決まると言っていい。バッハのロ短調ミサ曲も、先のレクイエムも、ほとんど第1曲への好みがその後のすべてを決定づけているのだ。
さてその第1曲はまず、糸を引くような感傷的旋律で始まる。やがてソプラノ、アルトの順で歌が始まり、美しい二重唱を紡いでいくこととなる。
第2曲以降は詩の内容により多少の明暗を繰り返しながら進んでいくが、それでも悲痛な雰囲気が全体を支配していることに変わりはない。
最後の第12曲では後半、いっけんやけに元気な「アーメン」で終わりになる。
この曲の魅力のすべてはとにかく第1曲に凝縮されている。オペラのアリアを思わせる優れた旋律美と、抑えた、しかし無類の効果を発揮するその曲調がすべてである。決して大音量で聞いて楽しいものではない。
暗くした部屋で深夜に、ひっそりと聴く曲なのだ。
 
推薦盤

ミレッラ・フレーニ(ソプラノ)
テレサ・ベルガンサ(アルト)
グラチス指揮ナポリ・スカルラッティ管弦楽団員
F20A 20074 (アルヒーフ(ポリドール)盤) 1972年録音

フレーニとベルガンサという現代屈指のソプラノとアルトが、30代後半の絶頂期に録音した盤である。悪かろうはずがない。伴奏のグラチスもしっとりとした最高の名演。
 
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