パガニーニ ヴァイオリン協奏曲第1番  No.15 990601
〜ヴァイオリン演奏の頂点を知るために〜
 
クラシック音楽の数あるジャンルの中でも、ある意味で最も華やかなのが協奏曲だろう。そして一般に協奏曲と言えば独奏協奏曲を指すことはこの前話した。更に独奏協奏曲の中には、特にその曲調を捉えて「ヴィルトゥオーソ協奏曲」などと呼ばれるものがある。ヴィルトゥオーソ、つまり超人的名人芸のことである。独奏者がオーケストラに敢然と立ち向かい、名人技を披露していく種類の曲をそう呼んでいるのだ。
この部類でピアノ協奏曲の横綱が以前紹介した「チャイコフスキーの第1番」である。それではヴァイオリン協奏曲はどうだろう。実はこちらの横綱にも同じくチャイコフスキーの曲があるのだが、今回は張り出し横綱としてパガニーニのヴァイオリン協奏曲を取り上げることにした。残念ながらパガニーニはチャイコフスキーほどの有名曲ではないが、演奏効果の派手さ加減は決してヒケをとらない。
もっとも、ヴァイオリンの演奏効果を極限まで追求したその華やかな曲調は以前にも述べた、いわゆる「通」の人達からは外面的だと嫌われるところでもある。どこの世界でもその道を極めると最後は精神論になるのが常。当然の如く保守的になりがちな考えはやがて「静」を求め、音楽とはこうあるべきという既成概念を象徴的に生み出す。「通」というのはそうやって楽しみを苦しみに、「音楽」を「音苦」に変えてしまうのだ。
だからみなさん、「通」にはならないよう気をつけよう。
さて、「ヴァイオリンの鬼神」とまで言われたパガニーニである。ショパンがピアノ曲ばかりならこちらはヴァイオリン曲ばかり作った。200年程前、その奇跡のテクニックから全ヨーロッパをあっと言う間に征服し、「悪魔に魂を売り渡した代償にその技術を手に入れた」などと本気で噂された人物である。本人もそんな悪魔的世評に悪のりして自身の人気に利用したらしく、その名声の割には私生活は謎で現在まで残された曲も決して多くはない。
とは言え、当時の音楽家に与えた影響は決して無視出来るものではなかった。特にリストは後年パガニーニばりの演奏法をピアノ音楽の中で結実して見せ、「超絶技巧練習曲」などという空恐ろしい名前の曲を書き上げた。さすがに訓練法が確立した現在では優秀な人材も多く、これらほとんどを中学生くらいの年齢で弾きこなす人も出てきたが、やはり困難な課題には違いないだろう。
曲は協奏曲ではお馴染み「急−緩−急」の3楽章。第1楽章が全体の半分以上を占める長さなのもこの分野ではよくある構成と言える。
第1楽章、曲はまず冒頭何度か「ジャーン」と鳴った後、思いっきり明るく脳天気に始まる。さすがの鬼神も、「そうか、イタリア人だったっけ」と思い起こさせる。ひとしきり鳴ってヴァイオリンの登場。もう最初っからテクニックの博覧会的趣。詳しい奏法はよく知らんがドッペルグリッフ(重音奏法=同時に複数の音を奏すること)とか、技巧的ハーモニックス(弦を正規の場所とそれ以外で軽く押さえ音に変化をつけること=ロックギターで言うハンマリング・オン/プリング・オフみたいなもの)とか呼ぶらしい。楽章半ば過ぎにはオーケストラをバックに派手な左手のピツィカート(普通弦を押さえる左手でギターのようにピッキングすること)まで登場し、いやいや何とも楽しい。協奏曲はこうでなくっちゃいけない。最後のカデンツァは一般的にはフランスの名ヴァイオリニスト「ソーレ」作のもので締めくくられる。
第2楽章、緩徐楽章(ゆっくり静かに且つ叙情的に奏される楽章の総称)とは言ってもその辺は鬼神パガニーニ。オーケストラに独奏ヴァイオリンが情熱的に絡む。
第3楽章は2楽章に続いて奏される。いきなりスタッカート・ポランテとか言う、大変華やかなヴァイオリンが聞こえ出すからすぐそれとわかるだろう。まさにこの協奏曲の華は3楽章目にあると言っていい。奏法的にはすでに完成の域に達したと思われた200年前のヴァイオリン界。そこに華麗なテクニックで度肝を抜き、世間の衆目を一身に集めたというパガニーニの、まさに面目躍如である。おそらく現代でもそして未来にも、この楽章は一度聴いたら忘れられない魅力を放ち続けていくことだろう。
最後に、今回音楽用語がやたら出てしまったが決して難しい音楽ではない。聴いてみれば一目(一耳)瞭然なのでご安心を。
 
推薦盤

ヴァイオリン : サルヴァトーレ・アッカルド
シャルル・デュトワ指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
1975年録音 独グラモフォン POCG−50051
パガニーニ弾きとして有名なアッカルド&デュトワの名盤。更にうれしいことにはレコードでは別々だった、「同じく第2番<ラ・カンパネラ>」まで一緒になって1枚のCDに入っている。第2番第3楽章のラ・カンパネラ(鐘の意)は極めて有名なので、大概の人は一度くらい耳にしていることと思う。
 
HOME       BACK