モーツァルト 「エクスルターテ・ユビラーテ」  No.17
〜心地よいリリック・ソプラノを堪能する〜
初回執筆  1999年 9月 1日
最終更新  2008年 4月 3日
 
何やら呪文のような曲名である。意味は「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」となるらしい。そう、察しの通り宗教音楽である。
曲名だけ聞くと「何じゃそりゃー」ってなるのは宗教音楽の常。しかし曲を聴くと「あ〜あ〜、はいはいはい・・・・」ってなるのもけっこう多い。ここで紹介するからにはこの曲もその代表曲である。たぶん!
きっと?
・・・・違うかもしれない?
は実のところ、モーツァルトをあまり好まない。特に交響曲はダメである。数秒耳にしただけですぐそれとわかる、特徴的な「シャカシャカ・シャカシャカ」というヴァイオリンが好きになれないのだ。一聴しただけでそれとわかるんだから個性的とも言えるのだろうが、私には「何とかのひとつ覚え」に聞こえてしまうのである。
同じモーツァルトの曲でも、オペラや協奏曲ではあれほど効果的に使っている金管や打楽器を、なぜ交響曲の多くであんなに控えちゃうのか理解出来ない。時代背景がまだ、そのジャンルに積極的利用を許さなかったのかもしれない。しかし、そこは天才モーツァルトである。後にベートーベンがやったように、何だって出来たはず。もしその彼が伝統に縛られてたとしたらやっぱりちょっと残念。
まあしかし、かく言う私もモーツァルトにもの申すだからたいしたもんだ。「所詮個人的好みじゃねえか」、と言ったらそれで終わっちゃうのだが。
さてそこで宗教曲である。曲の性質上、弦楽中心となるのはやむを得まい。多くは交響曲と同じく金管や打楽器が活躍するわけではない。しかし、さすがに「シャカシャカ」も登場は控え目。やはりそこは宗教曲、あまりせわしいようではちょっとまずい。替わりに、伸びやかでレガート(音を切らずに流れるように奏すること)な曲が多くを占めているのだ。それはそれは心地いいものである。イメージからしたってレクイエムなどの一部分を除けば、あまり派手にはなりようもない。200年以上前である。教会でブラスバンドってわけにもいかないだろう。
この曲「エクスルターテ・ユビラーテ」はソプラノ独唱による三つの曲からなる。元々はカストラート(去勢した男性歌手)のための曲らしく、考えようによってはちょっとあやしい魅力も無くはない。途中レチタティーヴォと呼ばれる短い台詞部分もあったりする。
ソプラノというと一般には、「身の毛もよだつ金切り声」てな印象を思い浮かべがち。でもこの曲は大丈夫。ソプラノはソプラノでもカストラートのいない現代ではリリック・ソプラノが受け持つ。最近流行のカウンターテナーでもいいだろう。透明な美しい声のための曲である。
以前ウイスキーのCMでキャスリーン・バトル(現代リリック・ソプラノの代表格)が、ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ(なつかしい木陰)」を歌っていたのを覚えている方も多いだろう。風たなびく草原で白いドレスの黒人女性歌手が歌ってたあれである。
ちなみに、ドラマティック・ソプラノとか、コロラトゥーラ・ソプラノ何てのはいきなり聴かない方がいい。昔(2005年12月25日逝去)、ビルギット・ニルソンという歌手がいた。ワーグナー歌手として一時代を築いた超大物である。いきなりこんな人を聴いた日にゃーもう、悪魔に思えることだろう。
 
曲はまず第1曲がその「エクスルターテ・ユビラーテ」の部分。冒頭モーツァルトらしい例の「シャカシャカ」が出てくる。確か何かのCMで鮫島有美子が歌ってたように記憶している。ややコロラトゥーラ(技巧的で華やかなこと)の入ったソプラノ独唱が極めて美しい。
続いてレチタティーヴォ。要するに台詞である。一応控え目な伴奏もつくが1分足らずと短い。

第2曲は「聖処女の冠よ」。少し気分を落ち着けて比較的ゆるやかに流れる。まさにリリック・ソプラノのためにあるような曲。

第3曲はこれも有名な・・・・って言うか、一般に耳にするのはほとんどこの部分という「アレルヤ(ハレルヤと同意)」。歌詞は簡単でそのまんま「アレルヤ」しか出てこない。アレルヤとは賛美の意で、第3曲はアレルヤ・アレルヤと繰り返す賛美の歌である。
昔、名指揮者ストコフスキーが出演して有名となった、「オーケストラの少女」という映画があった。その中で当時14歳くらいのディアナ・ダービンがこのアレルヤを歌っている(ゴースト歌手は使わずたぶん本人が歌っていたと思う)。私も曲を知ったのはこの映画からの方が先である。映画の中ではこのアレルヤを飛び入りで歌ったダービンがストコフスキーに認められ、父であるオーケストラの楽団員達を困窮から救うこととなる。
 
推薦盤

ソプラノ : エマ・カークビー
ホグウッド指揮エンシェント室内管弦楽団
1983年録音 POCL−2537 L’OISEAU−LYRE(ポリドール)

学究肌的指揮者(と言うより研究家)として、特にモーツァルトの権威としても名高いホグウッドの名盤。ライナーノートにもあるようにカークビーもしかり。しかし演奏は極めて清澄。純粋無垢という表現がピッタリで、この手の学者肌にありがちな堅苦しさはいっさいない。個人的にはこの盤がベスト。
 
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