3.テープとなた目とペンキとケルン
 
筆者はそれらマーキングを行ったことがない。
もちろん、最新GPSとか使ってる訳でもない。
だってさー、歩いてきた(登ってきた)記憶と地図があればさー・・・・


登山者なら一度は・・・・、って言うか山に行くたび、ほとんど毎回見るであろうマーキングのたぐい。
それらはいずれも、いわゆる道標として登山者にとっては大変身近なもの。
今歩いている道が正しいのかどうか、確認するためにもまことにありがたい。

このうち後者のペンキとケルンは、公共物的意味合いが強いと言えるだろう。
登山者全体を対象とした「指導標」という意味の、文字通り「みちしるべ」だ。
それは岩や大木に書かれた矢印や点表示、登山道の傍らや山頂にあるケルンである。
それらは地元自治体や山岳会等により登山者の安全のため公に表示され、また誰ともなく積まれたものがほとんどだろう。
その意味において、山では立派に市民権を得ている。

対して前2者は極めて個人的意味合いが強い。
特にヤブ山のバリエーションでは必須と考える方も多いだろう。
筆者のホームでもある西上州は2000m以下の低山であり、ヤブ山で且つ岩峰が多いという特徴を持つ。
地形の複雑さ、山々に遮られる集落により、廃道となった峠道や様々なバリエーションには事欠かない山域でもある。
西上州北西端に位置する妙義山塊ひとつ例に挙げても、ヤブ派マニアには無数のバリエーションを提供し、未だ未踏であろう岩峰も各所にある。
ルートを失いかけ「これはヤバイ」と思い始めた頃、テープに気を強くした思いは筆者自身にもある。
っとなればこのような山域では当然のごとく、残されたテープ類も多くなるもの。
時にそれらは目障りでうっとうしいものにも化け、二律背反とも言えそうな代物でもある。

バリエーションに何を求めるかは人様々。
初踏(登)を狙う人もいる。
ルート開拓を試みる人もいる。
一般道に飽き足らなくなった人もいる。
より困難を求める人もいるだろう。
いずれにしてもこのような登山では迷走や敗退、時に下山時の安全を考え、要所要所にテープやなた目で辿ったルートに印を付けてくることがある。
それはそれで遭難防止の正当な手段でもあり、もちろん否定されるべきこととは言えない。
問題はそのやり方にある。

あくまで「バリエーションルート中のこと」と前置きしておくが、正直なところ立木に何段にも、そして何重にもグルグル巻きにされたテープを見ると、「これは如何なものか?」と思うことがある。
ましてご丁寧に、辿ったルートやその様子まで記入してあったりして。
それはもはや自身の安全上の「しるし」と言うより、単に自己満足という「余計なお世話」に他ならない。
一歩譲ってそれはそれで消極的了解はしても、自身の記録を残したいなら頭(記憶)と写真とメモにしてほしい。
世はネットの時代、発表の場だって様々にある。
現地にそれを残す必要はない。
良くある「○○山岳会」などと言う固有名詞入りガイド・山頂標識類も、地元自治体、地元山岳会から公に掲げられたもの以外は同類である。
すでに有るものに加えて余計な物を残すのは、寺社の立木や建物への悪戯書きと本質的に大差無いように感じる。
それは安全とは無関係の自己満と自己中の発露に他ならず、バリエーションの楽しみを殺ぐ行為そのものである。

更に、その要領を得ないやたらなマーキングにも、「オイオイ!」と思うことは希ではない。
西上州の某バリエーションで見通し良く分岐もない踏跡はっきりの稜線で、20mおきにマーキングされては・・・・
その種のマーキングは本来必要最小限に留めるべきもののはずであり、前述のように自身のため長くても数日確認出来れば事足りる性質のものだ。
ましてバリエーションを試みるほどの登山者なら初心者とも言えないだろう。
ここで結論を急ぐ必要はないが、それは自然保護の観点からも山そのものやルートの美観からしても正論として表明しておきたい。

とは言え、かく言う筆者も一方で「西上州の山」項などバリエーションを紹介したりしていて、どこまで説明すべきかいつも迷える子羊状態となる。
あまり簡単に書いて事故が起きてはまずいとそれなりに配慮し、どちらかと言えばやや書きすぎ、脅しすぎの部分も否定は出来ない。
詳しすぎて本末転倒となりかねないのは、バリエーション好きの筆者としてもけっこう辛いものがある。
ことさら「紹介は矛盾を含む行為だ」と自ら明言しているのも納得いただけよう。
バリエーションでの安全とマーキングのバランスは難しいのだ。
 マーキング
 
追記更新 2015年 1月20日
追記更新 2010年10月 7日
新規追加 2006年 1月12日
 
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