最終更新 2004年9月27日 |
35.大失敗 |
生分解性プラスチック登場初期における最大の失敗は「分解性を強調しすぎた」ところにあった。 いわゆる「土に還る」という表現もその一つだ。 おかげですべてにおいて「分解ありき」=「捨てられる」という方程式に支配されるという、大きな落とし穴にはまり込んでしまったのである。 営業人ではない材料屋としての業界人には、その種の伝播パターンに対する認識不足もあったろう。 少しでも良く見せようと、また、分かりやすくという思いからの勇み足的説明もあったかもしれない。 マスコミが正しく理解しどう伝えたかも大きな要因と言えそうである。 いずれにしろ一度このような公式が完成、世に流布されてしまうと、その後の正しい認識に多大な影を落としてしまう。 その訂正には長い時間と多大なエネルギーを必要とするばかりか、「なんだ、そうなの?」と、まったく期待外れとも受け止められてしまう危険すらある。 現在でも「数日にして分解した」などと表現されるコメントを時々見掛けるが、それらが特殊な条件下における反応であることを語られることは少ない。 仮に「そういう条件下だ」と但し書きがあっても多くの場合、人の記憶に残るのは「数日で分解」という部分のみである。 ましてその分解が単に機械的に微細となり目に見えなくなったことを言っているのか、正しく生分解され水や二酸化炭素になったことを言ってるのかも語られることは無い。 その結果、生分解性プラスチックは「土に埋めれば数日で分解し水や二酸化炭素になるんだ」、と理解されてしまうのである。 それも一部ではなく、すべての生分解性プラスチックが皆同じようにそうであるのかと認識されてしまうのだ。 業界のみなさん、 もうこの種の「何日で分解した」「何週間で分解した」などというバカげた表現はやめにしませんか? 確かに、「早く分解してほしい」と願う側の方々が、たまたま試験した結果(JISやISOによる試験法やフィールドテストを含む)を発表するならそうだったかも知れません。 しかし、どこに持って行っても、どのような条件下でも同じように分解すると言えるのですか? 物理現象のように誰がやっても再現性を確認出来るのですか? 世の中に絶対は無いものだけど、これは断言できる。 断じてそんなことは無いのです。 それはあくまで「たまたま」の結果(特にフィールドテストなど)にしか過ぎません。 残念ながら、それを聞いた世の人々の認識は多くの場合上述のような結果になってしまうのです。 「環境条件によっていくらでも分解性(分解時間)が変わる」、それが生分解性プラスチックの正しく且つ最大の特徴のはずです。 それはみなさんが一番良く知ってらっしゃること。 誤解を与えるような表現があるならそれを戒めてこそ、この分野に健全な発展があると思いませんか? 業界外の一般ユーザーのみなさん、 分解性を強調するコメントほど信用出来ないと思いましょう。 「1−1=0」などというように、生分解性プラスチックの分解は単純にはいかないんです。 良識有るメーカーであればそのような強調はしないものだと理解しましょう。 BPS(生分解性プラスチック研究会)が認定し生分解性プラスチックと名の付くもの(崩壊性プラスチックは除く)であれば、最終的に分解することは間違いないでしょう。 しかし、それには時間がかかるのです。 それも普通の自然界では、みなさんが思うより遙かに長い時間がかかります。 四季のある日本のごく普通の自然条件下で土に埋めて完全生分解するには、フィルムでも半年以上、ある程度厚みのあるものではかなりひいき目に見ても数年以上と考えましょう。 生分解性プラスチックの世界に新たな常識を作らなければなりません。 「人の意志に反して例外的に放置されても、やがて数年の時を経て自然界に還元されて行くプラスチック」 それが分解性の観点から見た生分解性プラスチックの正しい姿です。 参照⇒生分解性プラスチックのお話−その6 |
注記) 上述内容は人の意志で分解性を理由に「積極的に放置される」使用法を否定するものではありません。生分解性プラスチックをマクロ的に見た際の意見だとご理解下さい。 |
−つづく− |
040927/ミスプリ修正 031215/追記更新 |
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