精工舎石原町/8インチボタン飾り金筋八角掛け時計
最終更新 2013年 3月24日
 
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概略寸法 全高47cm×幅30cm×厚み11cm
文字板 8インチ/ペイント文字板(オリジナルではない)
仕 様 8日巻/渦ボン打ち
時 代 明治25年頃(石原町初期?)
 
精工舎(服部時計店)は明治25年7月、創業者服部金太郎により東京市本所区石原町に産声を上げます。初めて時計製造に成功したのは9月頃と伝えられ、早くも翌年12月には同区柳島町に移転します。したがって石原町工場としてまともに動けたのは実質1年前後といったところでしょう。
石原町工場の家内工業的製造から、柳島町工場では動力を導入し本格的な時計製造が始まります。工場移転後の発展は目覚ましく、10年を経ずにして早くも国内トップクラスの大時計メーカーに成長しています。今や世界に冠たる「SEIKO」ブランドとなったセイコーホールディングスの礎は、この頃より着実に築かれ続けて来たと言っていいでしょう。

この時計はその精工舎創業直後石原町時代の8インチ八角合長掛け時計です。住宅街にあった石原町工場では騒音や振動を発する動力の導入が許されず、人力によりはずみ車など回して工作を行ったと伝えられとても大量生産という訳にはいきません。はっきりした記録はないようですがその設備や期間、人員からすると軌道に乗った時点で平均10数台/1日と言うところでしょうか? 1年300日稼働として多くても5000台には届かないでしょう。そのうち現在まで生き残り且つ動作品となると、まったく根拠はありませんが1割にははるかに満たないんじゃないかと思われます。特に首都圏では精工舎地元ながら関東大震災や戦時中の大空襲を経てきたため、同社大正中期以前の時計は少ないのではないでしょうか?

残念ながら文字板など一部の部品に後年の取り替えなど見られますが、筐体、機械、振り子室ラベルなど石原町製を示す重要部の多くはオリジナルのままと思われます。動作不調のジャンク時計でしたがなんとか復活出来ましたので、およそ120年前国内時計産業黎明期の時計としてご紹介します。

筐体表面に真鍮製のちょっと変わった飾りボタンをあしらい、極薄く金筋の痕跡が残っています。特徴的なのは振り子室下部のデザインで、精工舎自身や他社も含め筆者としては初めて見るデザインでした。Web上にいくつかある石原町時代の時計にも同デザインの時計はないようです。その他いくつかの特徴から、石原町時代の中でも初期に属する時計かと思われます。

どれほど現存しているのかはっきりしませんが、いずれにしろ紹介される機会の少ない時計と思われますので筆者の考察・・・・って言うか想像?も含め詳しく見ていくことにしましょう。
 
 
入手時状態
入手時状態

入手元の方が時計や古物に詳しくないのは一目瞭然でした。
ガラスを保護してくれたのはいいのですが、古い塗装の木製筐体に粘着力の強い布テープを直貼りしています。剥がす時に幸い塗装剥がれまでは起こさずに済みましたが、粘着材が残ってしまうのは左下写真の通りです。

更に驚いたというか思わず腰砕けになっちゃったのは、巻き鍵を振り子室ラベルにこちらも布テープで直貼りしていました。どう気をつかって剥がそうとも、ただでさえ弱っている大事なラベルが破れてしまうのは致し方ありません。
実は、入手前から精工舎の明治30年前後の時計だろうことは部品の特徴から分かっていました。しかし、この振り子室ラベルの記述を見るまで石原町製とは気づいておらず、予期せぬラッキーでした。逆に、だからこそテープ貼りも悔やまれたのですが。
 
入手時外観と部品
入手時外観と部品

表面は1世紀を経てきた経年色たっぷりです。塗装はすっかり曇ってざらつき、傷みと言うより拭き掃除により塗装が薄れて荒れた感じです。八角部の組木に多少の隙もあり、木工部の収縮も時代の証としておきましょう。幸い木組み自身のがたつきが無いのは救いです。目立つ当たり傷や破損がないのも救いではありますが、それでも外観上は決して褒められませんね。
ボタン飾りはこの種に多い凹みもなく、極めて良い状態で全数残っています。文字板はペイントですが後年の物で枠ごと替わっており、残念ながら精工舎製ではありません。文字板ガラスはゆらゆらではなく近年物に交換されており、巻き鍵も後年他社のものでしょう。振り子室ガラスはもの凄いゆらゆらガラスです。オリジナルと思いますが元々は何らかの絵が描かれていたものと思われます。

裏面に所有者名や修理歴など書き込みはありません。経年の色濃い状態は筆者にはむしろ好ましいですね。
 
金具類
掛け金切り欠き2
金具類

石原町時代あるいは精工舎初期の特徴を示す金具類です。

左写真の掛け金は木ネジ1本留めの小判形で、創業時〜明治30年前後までの特徴です。筐体の切り欠き方も左右に切れ目を入れて平ノミで削り取るという明らかな手作業で手作り感いっぱい。
一概には言えないかも?・・・・っとお断りした上で、もう少し後の時代(柳島町工場時代も含めて)になると筐体の切り欠き方が下写真のように、丸ノミかエンドミルで削りとったようなR形状となるようです。更に後年では左右の切れ目もなくなり、初めからエンドミルでそのまま削り取ったようなU字型の切り欠きとなるものも現れてきます。道具や作業工程の合理化、あるいは加工機械の進歩かと思わせますがいかがでしょう?

中写真のボタンは十字のリボンに唐草模様のような感じで、後年の花飾りとは異なります。彫りが深く輪郭がはっきりしたボタンで、これも初期の様子を伺わせているようです。

右写真は先に述べたこの時計の外観上もっとも特徴的な振り子室下部デザインです。八角部と同デザインの小さなボタンが中央にあり、その両側に半球状の飾りというか釘というかが打ち込んであります。他にこのような例があるのか筆者は知りませんが、ルーペで観察しても後付けとは思えません。
 
入手時機械
入手時機械

別項8インチ花飾りともよく似た精工舎初期の機械です。

パッと見目立つ傷みはありません。刻印のない角の立った地板で、ボン打ちの数取車がゼンマイの同軸ではなく上に付きます。筐体との取り付けは機械の左上と右下でバカになったネジ穴を避け足を回してすぐ隣りに移動されていましたが、機械と筐体がオリジナルの組み合わせであることは間違いないでしょう。
 
修理歴
修理歴

機械を外すとその背板と左側面に修理歴が共に鉛筆で書き込まれていました。

分かりにくいのですが左は背板で「昭24/??」と「昭4.5.5 市橋時計店」、右は左側板で「昭和十八年六月六日丸?修理」とあります。「?」部分は共に漢字のようですが筆者には読めません ^^;^^;
右の丸の下は「弟」か「菊」か「茂」の字にも見えますが?・・・・苗字とすると丸茂さんかな?
雁木車とアンクル
雁木車とアンクル

入手時時点では動作不調のジャンク機械です。

取り外した機械を調べてみてゼンマイは共に生きていますが、時計側では雁木車とアンクルの嵌合が浅くほとんど歯先しか当たりがありません。そのため動かしてみると雁木車が1周する間に2〜3個所でカタタタと歯先が数歯分飛んでっちゃいます。右写真でアンクル爪の間の歯先などよ〜く見ると、丸まっていたり歪んでいるのが分かるでしょう。カタタタ動いている間に次第に先端が丸まってしまったようです。
原因はアンクルを固定する金具のカシメ(赤矢印)が緩み、軽く手で押すだけで簡単に上下動する状態でした。
 
成形調整作業
成形調整作業

それではと雁木車とアンクルの嵌合調整など行います。

まず雁木車の歯をヤットコで軽くつまみ、先端に向けて延ばすように滑らせながら丸まっていた歯先を整えます。はじめ爪を立てると引っ掛かりのあった歯先も、これで尖って大丈夫。
続いてアンクルを雁木車側に寄せ、歯先のカン合状況を見ながら振り竿先端で15〜20mm程度の振れ幅で動作するよう調整します。仮固定のため左写真のように綿棒に付けた溶剤で油分を取り、ホットメルトを接着剤代わりに盛っておきます。

このようなちょっとした固定にホットメルト(呼び方はメーカーにより様々)はお奨めです。この程度の量なら1分程度で実用強度となるし、後で簡単に剥がせるので再調整も簡単です。
 
アンクル竿カシメ直し
アンクル竿カシメ直し

上がった機械を筐体に付けなおし試運転を行います。・・・・っが、なんか変?

っと言うのも動作中のアンクルが雁木車に叩かれるたび妙にゆらゆら揺れて、その動作音もカチッカチッと決まらず濁ってるというか・・・・ っで、もしやと思い調べてみると、案の定カシメられたアンクル竿の固定に大きなぐらつきがありました。これも経年の表れでしょうか?

修理は雁木車が空回りしないようドライバーなど差し込んで、振り竿をアンクル竿から抜いておきます(後で必ずしも抜く必要は無いことに気づきましたが)。黒いアンクル押さえを引き上げながら回して外し、簡単にアンクルは抜き取ることが出来ます。そのアンクル竿を万力に挟んで固定し、緩んだカシメ部をポンチで叩いてつぶしぐらつきを留めます。
後は逆の順序で付け直せばOK。
 
機械表面
機械表面

上がった機械表面です。参考のため大きな写真を載せておきます。

時代背景や工作機械の事情からほとんど手作りと言っていい当時の様子からすると、大変見事な出来栄えだと思いませんか? 石原町工場では最初の時計を作るのに10数人の工員で創業後2カ月を要したと伝えられています。アメリカ製機械のコピーであることは良く言われていますが、それでも実用品を生み出すには大変な苦労だったことでしょう。

地板に刻印のない無名機械で、前述の数取車の位置と共にこれも精工舎初期機械の特徴です。他に雁木車の支え金具形状や、アンクル竿が先端へ向けてかなり先細りになったりしています。冷間鍛造(圧延)など行ったのでしょうか? 一般に金属は細く薄く延ばすほど強度が上がり磨耗にも強くなるのです。他にラチェットの爪(コハゼ)が魚の尾型とでもいうのか?

石原町機械は8インチ、10インチ共通と思われますが、まったく同一かと言うと実際はマイナーレベルの違いもあるようです。筐体の大きさが変われば振り長や歯数も変わるでしょうが、たとえば外観上パッと見で分かる一例としては振り支点の違いなどあります。
一般に古い8インチ機械では針軸の下に振り子の支点(振りベラ固定部)がありますが、これが10インチ時計や8インチでも四つ丸や尾長など飾り振り子を付ける機種では針軸の右上に移ることが多くなります。地板にもあらかじめ双方の支点穴をあけた地板と、この機械のように8インチ専用と思われる地板があるようです。どちらがベースでどちらが派生機なのか確かなことは分かりません。いずれにしろ重箱の隅をつつく話しですが、一般的には無駄な穴のない方が初期物だろうとは想像していいでしょう。時代考証の参考程度にはなるかもしれませんね。
前出のよく似た8インチ花飾り機械では10インチ用の穴がすでに用意されています。後年の機械では一般に両穴開けられている地板が多く、共通化=合理化ということでしょう。

尚、地板右下に横向きで薄く「A」とケガキされていますが意味は分かりません。明らかに後書きですので何らかの修理記録かと思われます。
 
機械裏面
機械裏面

表面同様軸受けなど目立つガタや修正も見られずこちらも大変いい状態だと思います。ほとんど奇跡的? 大事に使用されてきたことが分かりますね。
写真右上と左下の足が明らかに不自然な向きになっていて、前述のようにバカ穴を避けて回されたであろうことが良く分かります。
 
ラベル剥ぎ
ラベル剥ぎ

布テープにガッチリくっついて破れてしまった振り子室ラベルですが、石原町製と分かったからには何とか上手く剥がせないものかと・・・・

そこでエタノール、メタノール、ペイント薄め液などなどあれこれ試してみましたが全部ダメ。まったく剥がれる様子がありません。っで、やはり当初から思っていたこれっきゃないだろう・・・・という線で成功しましたので、何らかの参考になればと報告しておきます。

シャーレにラベルの付いた布テープを入れ、四方を重石代わりのナットで押さえておきます。事前の試験でくるんと丸まっちゃうことが分かっていたからです。そこへ静かにトルエンを注ぎ(左上写真)蓋をして待つこと5時間。
粘着材はトルエンによりすぐもこもこ膨潤してきますが、粘着性自身はなかなか弱まりません。これも事前に試験してラベルの黒色や金文字が溶け出さないことは分かっていました。トルエンの色がほとんど変わらないことからもそれは分かりますよね。そこで時間を掛けてしっかり膨潤させます(右上写真)。
その後、丸まってこないようテープを押さえ、ただでさえ弱くなっているラベルを傷めないよう十分注意しながらラベルと粘着剤の間に楊子を差し込んで引き剥がします(左下写真)。
それでもしつこくラベルに残った粘着剤を油彩用の絵筆で丁寧に撫で落として完了。ここまで剥がせれば成功と言っていいですよね(^^)(^^)
ちなみに、溶けたと言ってもまだまだ粘着性は残っていますので、作業はすべてトルエンに浸した状態で行います。必ず換気をするとかして、トルエンがどういうものか大人なら知ってますよね。

尚、トルエンは有名薬局などで入手出来ますが、購入には身分証となる免許証などと押印が必要ですので念のため。
 
振り子室ラベル補修
振り子室ラベル補修

位置と向きを十分確かめながら糊付けして貼っていきます。上写真はひっくり返して上から覗いており、上下が逆ですがご容赦を。

一番大きなラベルの切れ端は上のラベル剥ぎ写真の物ですが、実は大小7〜8枚に別れています。それをジグソーパズルのように組み合わせ、位置を確かめながら1枚1枚貼り付けていきました。上写真の右上部分が最初に貼ったピースで、下写真が完成写真です。写真はまだ遅れて貼った部分が濡れていますが、乾けばそれほど糊跡は目立ちません。
元々紙質も弱りスレも目立ったラベルでしたので決してきれいとは言えませんが、石原町製を示す「***WARA HONJIO」となんとか読み取れると思います。

ちなみにこのラベルですが、「SEIKOSHA」の「O」の字の上にローマ字の長音記号がありません。これまで石原町製で紹介されているいくつかの時計ラベルは長音記号の付く表記が多いようで、石原町ラベルではこの部分で2種類が存在するようです。
また、柳島町工場に代わってからラベル内のロゴデザインが扇Sや鍵穴S、文字の太・細、飾り枠のデザイン等々かなりの種類変遷していく間も、しばらくは長音記号付きがずっと続きます。やがて明治40年頃メダル付きラベルが出るようになって長音記号は消え、どうやらその後復活することはなかったようです。

以上のことから、石原町製に関しては長音記号の付かないラベルの方が古くまた少数派ではないかと考えられます。逆に、柳島町製に関しては長音記号の付くラベルの方が明治40年以前の古い時計とも言えそうですね。

ラベル作ったけど「セイコシャ」じゃおかしいよ!、っと、誰かに言われたか当事者が気づいたか。っで、もう印刷しちゃったロットはもったいないから使い切っちゃえ。その後あらためて長音記号付け足して、「セイコーシャ」と正しく読ませるようにしたからさー・・・・なんてね!
実際、石原町ラベルの長音記号はいかにも後から付け足したような感が否めません(下写真参照)。間に合わせなんだよな〜って、担当者の声でも聞こえてきそう・・・・
調べた範囲で長音記号の付かない石原町ラベルはこの時計の他、Web上ではもう1台見つかっただけでした。
長音記号付き振り子室ラベル
でも、やがて国内でも屈指の大時計メーカーとなり、ローマ字表記で行くより(輸出とか考えても?)英字表記で統一すればいいじゃん・・・・、なんて話しになりやがて長音記号は外した・・・・
想像です、ソウゾウ・・・・^^; でも説得力ありませんか?!
 
大小ガラス枠補修
大小ガラス枠補修

ガラスのガタが大きく文字板枠では爪の紛失もあるため、外周部を無溶剤性の弾性接着剤で留めておきます。

枠自身は筐体側のネジ穴からしてどちらもオリジナルと思われます。しかし、ガラスを留める半田付けされた爪はいずれも替わっているようです。そのうち特に文字板側では3個所しかないためガラス落下の危険もありました。そこで一旦ガラスを外して洗浄してからはめ直し、肉ヤセしない無溶剤性の弾性接着剤で固定しておきます。固まってもゴム質ですのでカッターで簡単に切り取れ後々の再レストアにも困りません。

尚、このガラス枠はいずれも引っかけのない押し込み固定タイプです。振り子室扉が円形の時計は四つ丸を除き大概このタイプです。
 
振り子室ガラス
よれよれの振り子室ガラス

ゆらゆらと言うよりよれよれの振り子室扉ガラスです。

ガラス表面にヘアラインのような筋が走り、外周部に貝殻割れ(剥離)が数カ所ありますが致命傷はありません。オリジナルかどうか確証はありませんが、いずれにしろ大変古いガラスであることは間違いないでしょう。オリジナルとすれば元々は何らかの金彩枠や絵が描かれていたと思われます。
 
針


錆の酷かった針を清掃メンテします。

後述のようにこの種の取り外せる部品では元々付いていたものかどうか確証はありません。しかし形状的に他の同種時計と同じであることは間違いないでしょう。清掃と言ってもウェスで拭いて薄く油を塗っておいただけです。長針の先端がヤケに曲げられていますが、おそらく後曲げでしょう。
角穴の空く長針押さえの真鍮ワッシャーは紛失していたため手持ちの物を使用しています。
振り子
振り子

振り子はやや小さい手持ち精工舎振り子に交換しました。

付属してきた振り子は左のもので、直径実測約64mmあります。しかしこの種の部品がオリジナルかどうかは後述のようになかなか判断の難しいところがあります。そこで手持ち精工舎の振り子の中から、当方資料やWeb情報から古いタイプと思われる右のもの(直径約57mm)に交換しました。もちろん付属していた振り子も保管していますけどね。
下写真は各々の裏面ですが、竿の銜え代部分でリング状になってる振り子が一般に精工舎では古いタイプと言われています。しかし最近、識者のサイトから別の見解があることも知りました。
ちなみに、別項8インチ花飾りも柳島町製ですがこのリングタイプの振り子でした。

古時計の、特に掛け時計で振り子、巻き鍵、針など、簡単に取り外しが出来る部品では、それが出荷時からのオリジナル部品であったかどうかの判別はほとんど出来ません。製造番号などの連番は筐体や機械には時々見受けられても、振り子や巻き鍵など部品に打ち込まれていることは稀で、それらを真にオリジナルだと証明する手段が無いからです。それ故、筐体と機械、機械と振り子や巻き鍵の間ではメーカーを問わず2個1、3個1がごく当たり前に蔓延っており注意を要します。
一般に信頼出来る実物や当時の資料・カタログより読み取り、その内容からこの組み合わせがオリジナルだろうと判断するのが普通です。しかし今、目の前にしている時計から外した部品が、ホントにその時計出荷時からのオリジナル部品であるかどうかはまったく分からないのです。

っと言うことで、2個1、3個1は論外として、それら資料上同タイプの組み合わせであれば、事実上オリジナルと言ってかまわないでしょう。この世界、けっこうアバウトなんですよ〜 ^^;^^;
 
ボンと振り子室ラベル
ボンと振り子室ラベル

無名の鍔(つば)が付いたドーム型ボン台に細目の渦ボンが付き、修復した振り子室ラベルはこんな感じです。

ボン台も石原町製にはこの時計のような名無しのものと、以降の精工舎時計多くと共通した「SEIKOSHA TOKYO JAPAN」と名入りの2種類があるようです。ここでも名無しの方がずっと少数派で、名入れ前の試作的なロットだったのかもしれません。
精工舎初期の渦ボンは比較的細い線で「ボ〜ン」よりも「ビ〜ン」という響きです。いい意味で昔風の渋い音ですね。セス・トーマスの音色と似ているように思います。

補修したラベルの糊跡がストロボ撮影でくっきり見えます。元々ご覧のように煤けたスレの目立つラベルでしたので仕方ありませんね。自然光では気になるほどでもないし、破れたままよりはずっといいでしょう。
 
試運転
試運転

1回のゼンマイ巻き上げで1週間は調子良く動き、まずは動作に問題ありません。ほとんど手作り状態の時計ながら時間もよく合い、ゼンマイの駆動力変化による誤差も少なく立派に実用となります。振り子の振れ幅は重錘の左右がちょうど振り子室の丸窓と同じ幅くらいに振れ元気いっぱい。アンクル調整の甲斐もあったと言うものですね。仮固定のつもりのホットメルトも、けっきょく良い状態に上がったのでそのまま使うことにしました。

尚、外観の消えちゃった金筋は八角部分10時付近のボタン周りなど、わずかにその痕跡が見えます。全体に塗装が荒れてくすんでおりそれも経年の証としてやむを得ませんが、機会があれば良い状態の外観も見てみたいものです。振り子室周りに見えるように元々は木目塗装となっていたんでしょうね。
 

 
時計に限らずある同型商品でもし名無しの物と名入りの物が混在していたなら、名無しの物、あるいは間違った表記や状態の残る物の方が初期製造品だと思ってまず間違いありません。名(ロゴ)を入れなくちゃ、正しく直さなくちゃ、管理刻印付けなくちゃなどという修正・追加は様々にあっても、後から名や刻印を消したいという修正は特殊な場合(輸出とかOEM製造とか)を除き考えられないからです。

その意味でこの時計は文字板周りを除き主要部品の入れ替えが無かった前提で、石原町時計の中でも初期物と言っていいように思われます。

初物・初期物について
 
新規追加 2009年 8月30日
 
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