記者 : 「最近知ったのですが、今、中高年の登山ブームなんだそうですね。何でも全国の有名な山を片っ端から登ってるとか。」
天野 : 「うん、そうだよ。ちょっと名の知れた山の夏山シーズンともなりゃーけっこうな混みよう。中には登るのに順番待ちしなくっちゃならないところまである。山に登るっていうよりほとんど人の行列や背中を見に行ってるようなもんだよ。」
記者 : 「山で順番待ちですかあ?。ラーメン屋みたいですねえ。」
天野 : 「言いたいことはいっぱいあるけど、そんなブームに関係なく長く登って来た人間の目には、どうしても人が集団となった時の悪いところばかり目についちゃう。ここでそんな話したらきりがないからそれは別の機会に譲るけど、今、世間一般の登山界では何と言っても百名山ブーム。それも特に中高年の年代ではもう、大変な大ブームと言っていい。記憶としては確か20年ほど前にも、これ程じゃないけどちょっと流行ったことがあったような気がするなあ。
今更言うまでもないけど「百名山」ってえのは、亡くなった深田久弥氏が全国の有名山から特に百座を選び、これぞ「日本を代表する山岳だ」てな感じで著した「日本百名山」のこと。最北、北海道利尻島の利尻山から南は屋久島の宮之浦岳まで、確かに名だたる名山を紹介した紀行文として最高傑作と言っていいだろう。」
記者 : 「それなら僕も見たことありますよ。天野さんの山好きは知ってたからいつか話題になるだろうって、本屋で立ち読みしたことあります。」
天野 : 「なんだよ、買ってくりゃーいいのに。」
記者 : 「持ってないんですか?。」
天野 : 「興味ねえもん、対象外。悪いけど自分の金出して買おうとは思わねえ。」
記者 : 「あらま」
天野 : 「まあ、百名山の他にも200だ300だといろんなのがあったろ。「○○の百名山」なんていう特定の地方から選りすぐったものや、個人的思いからの本も多いし。」
記者 : 「ええ、ええ、ありました、ありました。」
天野 : 「それほどすごいブームなんだよな。俺もひとつ「西上州百名山」なんてのを書こうかなあって思っちゃうよ。」
記者 : 「はいはい、天野さんなら書けそうですねえ。」
天野 : 「なあー、考えちゃうよな。自分で言うのもなんだけど、まあ、百は無理でも40か50くらいなら何とかなるもん。いくらなんでもこの山は知らねえだろう、な〜んていうマニアックな、でも絶対外せない山もあるし。ただほとんどはだいぶ前の情報なんで、書くとなったらまた登り返さなくっちゃならねえけどな。」
記者 : 「僕ももうちょっと出世したら協力させてもらいますよ。」
天野 : 「頼りにしてまっせ。」
記者 : 「・・・それで・・・、どうして百名山には興味ないんですか?。こう聞きながら何となく想像は出来ますが。」
天野 : 「いや俺としてはさあ、失礼ながら現在の状況はあきらかに過熱しすぎだと思うんだよな。百名山に限らずそれまであまり名の知られなかった隠れ名山なんかも、最近はギョッとするほどの人に遭遇することがある。それによる弊害も毎号のように山岳雑誌で報告されてるようだし、特に尾瀬や中部山岳など人がやたらと集まる地域の現状を聞くとねえ・・・・・。
これ以上破壊が進まないうちに誰かが英断を下さないとって、ちょっと複雑な思いがあるねえ。あ〜あ、昔は良かったのになあって。」
記者 : 「複雑な思いねえ。」
天野 : 「以前はブームと言っても所詮少人数のものでしかなかったから、環境そのものにかかる負荷はまだまだ何とか自然治癒可能な範囲だったと思う。ところが今のブームはさあ、中にはツアーを組んで何十人もの人達が数珠繋ぎになって登ったりするんだよね。もちろん登ること自身の自由を誰にも奪う権利はないけど、それにしてもちょっととは正直思うよなあ。これもマニュアル重視の現れなのかなあ。そんなに徒党を組んで登ってプログラム通りに行動して面白いのかなあって。
俺はほら、おまえも知っての通り単独行ばかりだろ。前話したマニュアル車のドライブやカメラも同じだけど、自分が好きなことをやってるときはあまり余計な助けを受けたくない。特に人的干渉を受けたくないんだよな。すべては自分の責任で個人の裁量の中で事が運んでほしい。「そりゃわがままだろ」って言われればその通りかもしれない。かっこいいこと言ったって万が一遭難騒ぎなど起こしたら、けっきょくは周りに迷惑かけんだからね。それこそ登山道整備や安全登山のために頑張ってる人達からは睨まれちゃいそうだよな。」
記者 : 「たっぷり怒られちゃいますよねえ。」
天野 : 「ただそれだけに絶対に事故を起こさないよう気を使ってるし、出掛ける前には暗記するくらい地図とにらめっこしてる。俺の場合これがまた飽きないから面白いんだけど、何回見直してもそのたびに発見があるもん。
かと言って決して自信過剰とも思わない。俺の登山スタイルはそれこそ単独だから誰に知られようもないけど、とにかく楽しむことが第一。ロッククライミングやってたから昔は先鋭的登山に憧れたこともあったけど、それでも行動自身は端から見ればたぶん極めて慎重だし、歩くのもかなり遅い方だと思う。特に体力的にも優れた方じゃないから、1日の行程は長くてもガイドなどの時間で6時間以内に制限してる。山中でやばいなと思えば途中で引き返すことに躊躇はしない。自分の技量や体力、天候などの理由から山頂目前で「や〜めた」って帰っちゃったり、コース変更して下山しちゃったなんて数え上げたらきりがない。絶対登りきるぞっていう使命感と言うか悲壮感と言うか、そういう思いはないんだよね。それより楽しく登って「生きてりゃそのうちまた来られるさ」ってなもん。途中で珍しい花なんか見つけようものなら写真でも撮って、「うん、今日はもういいや。満足満足。」そんな感じで帰っちゃうことも多い。
逆に複数人のパーティーじゃそう簡単にはいかねえよな。多少天気や時間が怪しくなったってさあ、時にはリーダーの判断より多数決で決まっちゃったりね。それもいい大人ほど人の言うこと聞かねえからな。同行者に気を使ってバテバテなのに無理してついて行ったって、そんな話よく聞くよ。無事下山すればそれも楽しい思い出かもしれないけど、もし初心者どおしで天候なんかも悪かったりしたらどうすんだろう?。「目標を持って気合いを入れて登る?」「苦しさがあるから山頂での達成感が得られる?」そう言って怒られそうだけど、そもそもそういう根性主義が大嫌いなんだよね。」
記者 : 「なるほど、単独での考え方はわかりました。」
天野 : 「まあ、それで話の本筋に戻ると、どうしたらそういう干渉を受けずに自由なスタイルで山に登れるか?。やはりそれには人の登らない山、手つかずだったら文句はない。そんな山を登ろうって、すでに学生時代には無名山が登山の対象になってたよ。
最近は百名山はもちろん、さっきも言ったさほど有名でもない山だって山頂付近の他、登山道や休憩ポイントには必ずゴミが落ちてる。いろんな山を登ってきたけどほとんど例外はない。もうそんな光景は見たくないんだよね。
もちろん自由な登山スタイルっていうのは、決して好き勝手に行動するという意味じゃない。むしろ逆に誰も見てない単独行だからこそ、マナーはもちろん自分の行動に責任を持つということになる。俺も100%胸を張れるほど偉くはないけど、後ろ指くらいは指されないようにしてるつもり。」
記者 : 「なるほどねえ」
天野 : 「百名山でもたとえば北海道の山のように、まだまだ未開発だったり簡単には行けない山には大いに興味はある。四国や九州の山も同じ。ただ百名山の多くが集中し、当然多くの人も集中する中部山岳なんてまったく興味の対象外。最初に言った順番待ちしなければ山頂に立てないなんて山は論外ってこと。かと言ってオフシーズンでは体力的に難しい。残念なことだけど何らかの入山規制や制限で人的絶対量が減らない限り、俺がそんな山に登ることは一生ないだろう。山好きの一人としておまえもその中の一員じゃねえかと、何とも矛盾に満ちてるとはわかってるけどね。
名のある山の多くはその名に恥じないすばらしい展望や歴史が刻まれてることと思う。だけどいいよ、俺は写真でも見てガマンする。ブームに流されるつもりはない。」
記者 : 「これで西上州執筆の話も消えましたね。マジで頼まれたらどうしようかと思っちゃった。」
天野 : 「そりゃそうさ、冗談に決まってるだろ。ホームページで細々と紹介する程度でちょうどいいんだよ。」
記者 : 「そうですね。」
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