妙義山/金鶏山縦走
最終更新 2013年12月10日 |
轟岩より金鶏山 |
表妙義の南東に張り出す金鶏山は、下記注記のような理由で原則登山禁止となっている。 当初、筆頭岩のみ登山禁止となっていた処置が、いつの頃からか金鶏山全体になってしまった。 そのような理由で紹介は控えてきたが、現実には登山者がいることも事実。 ならばむしろ危険個所の周知を計る方がより建設的と判断し、自己責任を伴うと注記し紹介することとした。 妙義の岩に慣れた熟達者向け。 |
グレード(個人評価) | H 1 2 3 4 5 U / 判断基準 |
ルート | 登山口→岩稜→金鶏山→見晴らし→キレット→トラバース点→筆頭岩→車道→登山口 |
総歩行時間(休憩含まず) | 4時間程度 |
登山適期 | 4月上旬〜5月中旬 及び 10月中旬〜12月上旬 |
地形図 | 松井田 |
駐車場所 | 見晴らし駐車場 |
注 記 | 金鶏山は中腹の周囲をぐるっと車道が回り、特に一本杉から筆頭岩間では筆頭岩直下の道が車道の頭上を巻き、落石など起こすと直接歩行者や車両への危険が生じるため登山禁止となっている。当初このような理由により筆頭岩周りの登山禁止処置であったはずだが、その道は縦走路の一部でもあり結果的に以後まったく未整備となったため、現在では金鶏山全体が登山禁止となっている。 したがって本ルートは筆頭岩西面を避け東隣の子持岩岩稜沿いに下り車道へ出るルートをとり、筆頭岩及び筆頭岩以東の旧縦走路を紹介する。不明瞭な縦走路は誤った踏跡も錯綜し、現在では完全にバリエーションルートであると理解願いたい。 登山者は各自の自己責任において、上述の状況をよく理解し了解したものとする。 「 」内の固有名詞は戦前資料からものです。 |
ガ イ ド (2012年11月下旬現在) |
金鶏山を回る紅葉ライン先端の見晴らし駐車場に車を止め、車道を中の岳方面に150m程歩いた直線終わりの右カーブに階段の登山口「御座所」がある。 登山口には「金鶏山は岩が脆く落石など危険なため登山はご遠慮ください」との看板! |
階段が終わると落ち葉積もるズルズルの、季節によってはふかふかの急登となり、右手の稜線を目指して適当に登る。やがて右側が切れて来ると先の駐車場などが見え、大岩「やもめ岩」に首の取れた神官の石像がある。 |
すぐに壮絶な岩稜が現れ、縦に走る「樋/または千滝」を登路とする。急峻なガリー(ルンゼ)は彫刻刀で彫ったようなU字型断面が一直線に延びて見事。登って行くと中程に灌木がありその手前で左右に逃げる。右はスカイラインとなる高度感抜群の爽快なリッジ(右写真)、左岩稜には下記の石碑が建っている。 |
その左岩稜にある石碑がこれ! 「何でこんなところに?」と思う所に鎮座しており高さ1m程の立派なもの。半人半獣の女神のような線画が彫ってあり、「叱枳尼天(だきにてん?)」と名が付いている。 登路として岩稜の高度感と展望を望むなら右、安全重視なら左がいいだろう。 |
続いて上部で幅50cm程と狭いトヨ状のガリー「頬づり」に取り付き登りきる。 出口付近に薄く赤ペンキが残っており、古くからの正しい登路であることが分かる。金鶏山は一般に登られなくなって40年は経ち、おそらく戦前か戦後すぐくらいのマーキングだろう。出口付近は頬づりの名の通り狭いので用具など引っかけてバランスを崩さないように注意。 |
なおも続くスカイラインの長い岩稜「馬ノ背渡り」を高度感と展望を楽しみながら登り、やがて灌木混じりとなり傾斜が緩むと岩塊上に二体目の石像がある。ここは右下に巻くがその右手は断崖絶壁上のため要注意。更に続く岩塊を登り返せばそこは二つの石碑が建つ金鶏山山頂「奥ノ院」である。 |
山頂展望は金鶏山稜線の全貌とその向こうに金銅山、木の間越しの白雲山、もちろん眼下には河岸段丘の発達した町々が一望の下。写真で中央奥の白いピラミッドが筆頭岩、手前左がどこからもよく目立つ岩峰「離山」である。三角点はすぐ先の少し低い平地にある。 尚、登ってきた岩稜西隣には巻き道もあるので、岩場が苦手な方、または下降の際はそちらへ回った方がよい。 |
平らな頂稜を進むとすぐまた左岩塊上に石碑があり、やがて展望に優れる見晴らしに登り着く(左写真)。正面に大きく白雲山が圧巻。すぐ隣、南側の岩峰(右写真)は南面の展望に優れる。 |
頂稜からの下降路は前述の両岩峰間鞍部にあり、短いリッジを下るがやや分かりにくい。見上げた様子が左写真。 下りきった両岸は岩場のキレット。頂稜側には小判型の古く大きな鎖が立木に食い込み、対岸の岩場にも捨て縄が垂れている。 |
捨て縄で岩場を登り、北斜面を上向きに回り込めば小さな支稜で、ここにも割れた石碑がある(左写真)。 更に古い捨て縄頼りに日陰で濡れた斜面をスリップに注意しながら下降し、再び向こう側に登り上げ左に回って稜線に戻る。左手は先の岩峰離山(中写真)、行く手は右に主稜となって続く。 薄いヤブ気味の主稜は踏跡が交錯しルートファインディングに注意。やがて目立つ立木(右写真)が現れると左を指して下る赤ペンキの矢印がある。 |
矢印にしたがって下ると棘々のオオウラジロノキがあり、急峻なスラブのトラバースとなる。以前はアングルがあったはずだが今ではすっかり落ち、斜度45度以上はありそうなのっぺりしたスラブとなった。下は更に崖となって落ち込み極めて危険なトラバースとなる。パッと見ホールドも目立たずヤバそうに見えるが、実際は礫岩状の凸凹がありフリクションは効く。もちろん確保は必須。 濡れていたり砂が浮いてたりしたらアウト! その場合、躊躇無く下から大きく巻くことにしよう。 この先もう一つ、同じようなやや短いスラブのトラバースがある。 |
再び主稜に戻り相変わらず不明瞭な踏跡を辿る。小さなコブをいくつか越えたり巻いたり繰り返すとやがて山頂に老松のある松の木のピークに立つ(最近この松は枯れてしまった)。ここは筆頭岩を見下ろす最後のピークで主稜も終わりに近づいたことを実感させる。 左写真は離山がよく目立つ振り返った主稜線、右写真は手前ピラミダルな筆頭岩と金銅山。 |
松の木のピークから下り、大岩に行く手を塞がれると左に下りすぐ右手の岩に取り付く。ここは地図上に無い顕著な岩稜「子持岩」を越える所でルートはやや複雑。岩稜中の最低鞍部を乗越すようルートをとるが下からは見えづらく、ホールドの少ないやや危険な岩場をトラバースする。ここには誰が張ったかワイヤーが設置されており(左写真)、向こう側には捨て縄が垂れている(右写真)。 筆頭岩をパスする場合は取り付かず、このまま岩稜沿いに下れば車道は近い。 乗越して斜め上に主稜を目指せばすぐ筆頭岩下部。筆頭岩南壁は古くからの岩ゲレンデとなっており、残置ボルトやハーケンが多数残る。その南壁を眺めながら南へ回り込めば、フリークライムでの筆頭岩登路となる南稜となる。 |
南稜は高度感もあり妙義でも屈指の岩登りとなる。日本アルプスの紹介者として著名なウェストンが北アへ向かう小手調べに、当地のガイド根本清蔵らとアンザイレンして初登したという逸話が残っている歴史的登路である・・・・っと聞いている?! 下部ではややザレてる部分もあるが南面のわりに風化は少なく、上部岩稜は妙義では珍しく岩質もしっかりしている。谷急山北稜から灌木を無くしたような感じ、っと言えばこの項を見る方には想像しやすいだろう。 途中幅50cm程度で両側が切れた「剣ノ刃渡り」を渡るが、高度感に怖さを感じなければ特に問題ない。その先が上写真右の鎖のある核心部。フリーでの登下行可能だが稜全体が細いので空中に飛び出した感が強い。スカイラインのやや右を登ると楽だろう。 その鎖、筆者が初めて登った・・・ん10年前すでにかなり繋ぎ目が磨り減っており、現在の様子は意外にも当時の記憶とまったく変わってないように見える。設置時期の詳しい年代は分からないが戦前であろうことはおそらく間違いない。それでも一応まだ生きてる(使える)ようには見えるが、あくまで見た目であり信頼おけるかどうかは各自判断願いたい。 昔はこの鎖使用が前提で中級者向けとなっていた。しかし、判断基準の厳しくなった現在では上級者向けと言っていいだろう。厳しいことでは表妙義縦走ルートの鷹戻しが有名だが、必ずしも鎖頼りで登れない分確保無しが前提ならこちらの方が精神的グレードは遙かに高い。 |
筆頭岩山頂には昔から大きなケルンがあり展望にも優れる。踏破してきた金鶏山の稜線はもちろん、眼下には紅葉ラインが走り、眼前の金銅山は大きい。前述のように岩質はしっかりしているが、間違っても落石など起こさないよう注意を払おう。 下りは岩経験者であればフリーでも可能だが、一般にはザイルを用意したい。南壁であれば2〜3ピッチで下降可能(空中懸垂あり下降器無しでは不可)。 |
下山は先のワイヤーのあった岩稜まで戻り、その岩稜に沿って下れば難なく車道に出られる。踏破してきた金鶏山を左に見ながら紅葉ラインをゆっくり30〜40分も歩けば、登山口前を通り車を置いた見晴らし駐車場はすぐだ。 前述のように筆頭岩〜一本杉間のルート(馬ノ背渡りと筆頭岩西面トラバース)は、落石を起こした場合余りに危険なため入ってはならない。上写真は一本杉付近からの筆頭岩で、右の稜線が登路となる南稜。 |
081225追記 筆頭岩 筆頭岩は現在一般に音読みで「ひっとういわ」と呼ばれるが、古くは筆岩(元々の本名か?筆頭岩の誤記か?)とか、同じ漢字を当てて「ろーそくいわ」と、かな表記されている例もある。近くの金銅山中にも同じ音の「蝋燭岩」があり、区別するためか見た目の読みが一般化したものか不明。 昭和初期の資料では金鶏山について「三山中最も低くして最も嶮」などと記述がある。 樋または千滝 古くは「樋(とい)」、「千滝」などと呼ばれ先の資料中にも、「樋は本山(金鶏山)の東端御嶽の奥宮に至る間にあり、左右断崖絶壁馬の背の如く而も峻嶮にして僅かに岩瘤に頼りて登ることを得、一たび足を滑らせば千仞の谷底に陷つ。登る者腋下に汗す。」とある。 資料文は本文通りの旧漢字を使用しました。文字化けの際はご容赦下さい。 |
昭和5年妙義山絵図より抜粋 |
新規追加 2006年 4月27日 |