2015年 5月上旬現在 |
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左) 御巣鷹の尾根(昇魂之碑)登山口 駐車場前道路脇に清冽な地下水の水場があります。
右) 昇魂之碑前広場 |
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昇魂之碑左から急尾根に取り付き県境まで登り上げる。初めは馬酔木を分けながら、やがてシャクナゲに変わってくるともうちょっと! |
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左) 県境稜線昇魂之碑分岐
右) 右は大蛇倉山方面 |
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分岐からわずかに下ると岩上の展望台。正面に高天原山、わりと近くに三国山も! |
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簡単な岩場を下り、登りに掛かると県境稜線西を巻いて行く。 |
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間もなく、あまり広くない高天原山山頂着! |
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左) 振り返った登路側
右) 白髪岩と同じ旧字体の二等三角点標柱は古そうで、彫り込み文字は写真の一面のみ。 |
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展望は樹林に遮られてイマイチ! 南西に金峰山と小川山、南アルプス等、西に八ヶ岳連峰。それも木々の生長に伴い間もなく見えなくなっちゃいそう。 |
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三国山方面へはいきなり枯れた笹藪?
ここ数年西上州の山の笹は多くが枯れてきています。何らかの環境変化か?次世代へ更新の時期なのか? |
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舟窪付近。
道は割合しっかりしておりほぼ直角に南へ曲がる。それでも獣道を含め枯れた笹の切り開きは幾筋もあり、分岐したり交差したり一応のルートファインディングは必須! |
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ムササビ発見! 同定できる形で初めて生で飛ぶ姿を見た。見事な滑空技術、さすがです!! |
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1818m峰 を過ぎると岩が出始めて、すぐ大岩に行く手を阻まれ右へ巻く。 |
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旧三国峠
最低鞍部を過ぎわずかに登ったもう三国山西の肩という所に旧三国峠。長野県側はパッと見どっちだ?って感じですが、群馬県側は水平に峠道が延びているのが見えます。今回下山はここまで戻らず三国山から上武県境稜線を下降しました。 |
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三国山山頂
群馬県最南端であり、その名の通り長野と埼玉を含め三県を分ける。 |
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県境稜線 1796m峰 からほぼ真北に石楠花林を急下降。
歩きやすくはないが、思ったほどには石楠花も被って来ない。登るのはごめんだが!? |
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やがて小岩峰に登り着く。360度の好展望は全ルート中ここだけ! |
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正しくは虚峠(そらとうげ)。しかしこの場所は上武県境でありここはその虚峠でもありません。 |
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左) 棒切の峰(1730m峰)西面を下り気味にトラバースし、崩壊地最上部を通過。
右) まともな展望があるのは先の小岩峰とこの崩壊地西面のみ。正面に高天原山、右奥に高岩(1962m峰・大蛇倉山)の岩峰。
ちなみに大蛇倉山は現在「だいじゃくらやま」と呼ばれることが多いようですが、筆者の持つ昭和30年代の紀行文では登り上げる沢が「大蛇倉沢(=大蛇ー沢/おおだくらさわ)」で、山名は「高岩」であり、大蛇倉山(おおだくらやま?)の名はありません。 |
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崩壊地を過ぎると旧峠道も比較的分かりやすくなってくる。 |
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やがてやや幅広の支稜に達するとほぼ真北に向かって「石楠花坂」の下りが始まる。旧峠道は写真のように明瞭だったり不鮮明だったり。 |
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虚峠
やがて鞍部に着くと尾根上の大きな岩塊を右に見て回り込み、ここがホントの虚峠! 1543m峰方面に尾根道が続いていますが、それは峠道ではありません。たぶん?!
尚、1543m峰南の鞍部に朽ちた宮が残っているらしく(筆者は未確認)、それを虚峠の証拠とする説もあります。しかし私見ですが石仏等含むその種の多くは西上州でお馴染みの山岳信仰(岩山信仰)の現れとして1543m岩峰を指す可能性が高く、峠道とは無関係のように思われます。 |
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左) 峠から回れ右して先の大岩塊沿いに東へ下り、小沢を挟んだすぐ東の尾根に渡ります。
右) そこは棒切沢本流と小沢を分けるやせ気味の明瞭な尾根ながら、その小沢と共に地形図上はっきりとは存在しない尾根です。やがてその尾根も大きな岩峰に行く手を阻まれ、左に先の小沢へ降りるか、右の棒切沢本流に降りるか判断を迫られます。筆者は沢の傾斜からより安全と思われる右の本流へ降りました。 |
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降り立った棒切沢本流はまったくヤブも無く大変気持ち良い原生林! |
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軽く20m以上はあるだろうのっぽの大木が雰囲気抜群!
時期的なこともあるだろうけど、この日は清々しく明るい本流でした。 |
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二俣を振り返る。右がさっき見送った虚峠への小沢、左が下ってきた本流。 |
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間もなく何とな〜く左右に峠道と思しき道跡や石積みが現れ始め、沢の左屈曲部手前から左岸に道が現れます。回り込むと丸太橋! |
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右岸に岩屋風の大きな岩塊下を通り過ぎ、更に右岸の道を少しで神流川との出合が見えてきました! |
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棒切沢出合では木材搬出用軌道跡や石積みの橋桁が往時を忍ばせます。 |
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平坦な軌道跡を振り返りながら、少し下流の砂防ダムを上れば登山口まで車道3km弱程度。 |
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踏破軌跡(縮尺は任意)
GPSのものではありません。地図を元に筆者登山後の覚えですので、細部で異なる場合があります。 |
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昭和30年代の紀行文によると、虚峠は「(上州側から)登っていくと三国峠と間違いやすいことから虚峠(うその峠「嘘峠」の意?)」と言うことのようです。また逆に「虚峠からジグザグに急下降し小沢に降り着くとそれが棒切沢である」とも。この辺、説明文があまりに簡単すぎて実際のルートがどうなのか、今のところはっきりとは分かりません。
ここからは私見ですが、ネット検索すると本沢方面に降りるルートが多く紹介されているようです。しかし本沢からだと虚峠を三国峠と間違えるには無理があり(東を向いて三国峠とは思えない)、やはり尾根を横断するルートとして西または南を向いて辿り着く棒切沢からが正しいように思われます。先の紀行文文脈から想像すると、筆者の下った小尾根を乗り越えて直接棒切沢本流に降りるのか、虚峠へ登り上げる上図青線で示した小沢を下っていくのかの二つが考えられそうですね。 |
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尚、大正期の古地図(上図)を見ると本来の三国峠は信州川上(佐久)と武州中津川(秩父)を結ぶ峠道で、現在の地理院地図でも三国山東尾根にある破線の歩道がそれとなります。中津川林道による現在の三国峠も両地域の連絡路としては同じ訳ですね。旧三国峠は上信県境にありますが、三国山北面をほぼ水平に巻き群馬県は一瞬かするのみ。実はすぐ先上武県境から秩父道(東尾根)に入るというルートなんです。したがって筆者の歩いた虚峠を含む上野道(こうずけみち)は三国峠の支線と言うことになりそうです。上の古地図で三と国の間、上武県境沿いに北へ延びる破線がそれです。 |
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最終更新 2018年 3月31日
追記更新 2015年 5月28日
新規追加 2015年 5月16日 |
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