新 屋 峠 (にいやとうげ または鳥屋峠)
 
2004年5月下旬、大銀杏付近の峠道で熊目撃情報あり。峠道を歩く際は鈴など携行の上、注意のこと。
雪の亀穴峠道
雪の新屋峠道(天引側)

小幡から見た通称「南山」の東の端、甘楽町天引(あまびき)と藤岡市上日野を結ぶ峠。

亀穴峠は大概の地図に記されるほど名が知られてるが、小柏峠や新屋峠はその意味ではかなりマイナー?

新屋峠道は純然たる山歩きとはなるものの、比較的良好に残っているのがうれしい。

峠には石仏こそ無いが、往時を示す石柱の道標がある。

昔の地形図はこちら
コース 天引⇒上鳥屋⇒峠道入口(森林公園駐車場)⇒大銀杏⇒杉植林⇒乗越⇒沢源流⇒新屋峠(往復)
地形図 上野吉井(1/2.5万)
歩行時間 往復2.5〜3時間(森林公園駐車場より) 但し休憩時間含まず
時期 通年
 
上鳥屋集落上鳥屋集落
森林公園への車道より上鳥屋集落を振り返る。
以前は10軒程度の集落だったらしいが現在は廃屋のみ。
森林公園森林公園
本ページ初回アップ時点で出来立てホヤホヤの森林公園。
遊歩道も整備されハイキング気分で一周すればけっこうな運動になる。
駐車場は写真の手前右側。
峠道入口峠道入口
その駐車場左手より新屋峠の峠道は始まる。
石垣の峠道路肩に咲くニリンソウ
石垣の峠道

ちょっと分かりにくいが、右の路肩には石垣が続く。
付近は4月中旬〜5月初旬にかけてニリンソウが咲き乱れる。
大銀杏大銀杏
右の太い木が大銀杏。
直径は腰回りで80cm〜1mくらい。大銀杏と言うほどではないかな?
秋にはぎんなんがすごい!
杉植林の分岐付近杉植林の分岐付近
峠道入口より沢左岸に付けられた林道のように広い道も、やがて右岸に渡れば終点は近い(99年の大水で橋は流されてしまった)。
右岸に移ってすぐ、沢は二俣となり左は伐採地、右は杉植林となる。
峠道は右の杉植林に続く。
杉植林の分岐2 杉植林の分岐2−2
杉植林の分岐2
先の分岐から沢右岸を進むと間もなく再び分岐に着く。
写真ではこれまたちょっと分かりにくいが、道はしっかりしているから大丈夫。左写真は分岐を下から見たところ、右写真は同じく上から見たところ。峠道は右写真で左から登ってきて、Uターンするように日の当たったところへ左折して行く。
尚、上部では結果的に再びこの沢伝いの道となり、ここで直進する道もあるのだが行く先がどこかは未確認。
杉植林内の峠道杉植林内の峠道
分岐から時計回りに回り込むと左下に支流を見る道となる。
付近は鬱蒼として暗い杉植林。
直線道になって途中左へ分岐があるが、峠方向は直進でやや急坂へと変わる。
乗越乗越
やがて植林からややヤブっぽくなり、右手にすぐで乗越に出る。
切り通し状の小尾根を越えれば分岐まで歩いてきた、さっきの沢右岸に再び戻ることとなる。
亀穴沢源流付近沢源流付近
沢左岸に渡り、しばらくまた杉植林の道が続く。さすがに道はやや荒れ気味となるが、見失うことはないだろう。
峠道は写真の源流付近で最後の二俣となり右俣に入る。この後すぐ右手植林の急斜面に取り付き、大きく半時計回りに回り込む。やがて大きな天然杉(この項最初の雪のある写真場所)が現れれば雑木林と変わり峠は近い。
尚、地形図の峠道はこの天然杉が現れる付近で右にUターンするように尾根を回り込み亀穴峠へ向かうが、この項ではより明瞭な道を新屋峠へ直進し斜面を横切って峠に続く。
天引側より亀穴峠新屋峠直下(天引側)より峠
雑木林に変わって数分も進めばすぐ峠直下。稜線の窪みが新屋峠だ。
亀穴峠新屋峠
切り通し状の新屋峠はほとんど昔のまま。下記75年当時との写真と見比べてほしい。
以前日野側が伐採され一旦展望も開けたのだが・・・・。

尚、この新屋峠は別名「鳥屋(とや)峠」とも言われ、下の分岐にある石柱から左に小幡へ向かった尾根の乗越が「亀穴峠」となる。筆者自身思い違いをしていたが、別項地図で「地図上の亀穴峠」という場所が本来の亀穴峠に間違いない。その亀穴峠はすでに往年の峠道を踏破しているので、近日中にアップ(こちら)しようと思う。
峠より御荷鉾山展望峠より御荷鉾山展望
その開けた日野側には御荷鉾山が近い。
中腹のゴルフ場がちょっと痛々しいが、そう思うのは私だけ?

下↓写真は2004年春現在。
手前の灌木が大きく生長し、2014年現在展望不良。
亀穴峠より御荷鉾山展望
日野側より亀穴峠日野側より新屋峠
左に炮烙峠(ほうろくとうげ)からずっと続く檜植林、右は伐採地である。
すでに伐採地は樹林へと変わり、展望はほとんど得られない。
道標 分岐から小幡方面 分岐から天引方面
石柱の道標
日野側に100mほど下ると往時を忍ばせる峠の分岐がある。
上写真で分岐から小幡側の峠道もしっかりしているように見えるが、残念ながら薄く道跡を残すのみ。昔歩いた小幡への峠道は一部高度なルートファインディングを要する。
左) 「右新屋天引・・」「左小幡富岡・・」の彫り込みが見られる石柱。
中) 分岐より小幡側の峠道を見る。
右) 同天引側の峠道を見る。
峠西の小ピーク 小ピークより小幡方面 峠〜小ピーク間の尾根道
南山稜線と小ピーク
左) 亀穴峠西の小ピーク。現在の地形図ではこのピークに天引側の峠道が登り着くのだが・・・?
中) その小ピークから地図上の峠道方面。道跡はまったく判別不可能。山影の遠くは小幡方面である。
右) 小ピークより新屋峠方面への尾根道。
 
 
新屋峠及び亀穴峠の日野側 
日野側峠道上部日野側峠道上部
峠から200m余り下ると左に植林、右に雑木林の林道のような広めの道と変わる。
ふかふかの落ち葉が気持ちいい。
廃畑跡廃畑跡
峠から数百mで石垣を配した廃畑が現れるが、すでに立木が大きく育ち面影のみ。
轍も残り軽トラ四駆や小型四駆くらいは通れそうな道。
廃屋廃屋
廃畑から間もなく現れる山(畑)仕事用の納谷と思われる廃屋。
峠から下ってくるとこの廃屋に突き当たり、ここで左折し荒れたダートの林道へと入っていく。
林道分岐林道分岐
荒れた林道を下ると現れる分岐。
写真は上り方向に振り返ったところで峠道は直進。
峠道より程度の良い右は、しばらくして植林内で行き止まるようだ。
上日野矢掛の峠口上日野矢掛の峠口
藤岡市上日野矢掛にある峠道入口。
峠道の舗装道はすぐ荒れたダートの林道へと変わる。
 
 

こぼれ話

小柏峠を知るより早く、亀穴峠(実際は本項の新屋峠)の名前はよく知っていた。実際に初めて峠へ行ったのはやはり大昔の話となってしまうのだが、小柏峠よりは数年早かった訳である。当時地図は持っていなかったものの、まだまだ山々は手入れされ、昔からの峠道も今よりはるかにしっかりしていたものであった。
下の新屋峠写真は1975年のものだが、切り通しの峠は現在とあまり変わらず、当時の記憶を呼び起こすのに十分である。

地図上の峠はその位置がけっこう変転している。私が知る限り少なくても1970年前後には現在の位置(郡界尾根の最低鞍部)にあるのだが、当時も今も国土地理院「上野吉井」地形図ではマイナーチェンジを繰り返しながら西側の小ピーク付近を微妙に移動している。前述のように新屋峠と亀穴峠は日野側直下で二手に分かれ、左⇒小幡方面(亀穴峠)、右⇒天引方面(新屋峠)となっていて、どうも地図上の記載ではその両者が入り乱れているようである。

今回紹介した天引側の峠道は分岐で間違わない限り、迷うことのないはっきりした峠道である。対して、昔、数回歩いた小幡への峠道は現在では前述のようにそれなりのルートファインディングを要する。
尚、小柏峠と同じく新屋峠も亀穴峠も私自身日野側に下ったことはない。道自身はこれも小柏峠と同じくしっかりしているものと思われ、いつか往復する機会があったら再びこの欄で紹介することにしよう。

ってことだったが、後に訪ねた日野側の様子は上述の通りであった。↑
写真でも分かる通り日野側の道は峠近くまで林道と呼べる広さで、1/25000地形図上の峠道とはそのルートもかなり異なる。これは山畑開墾の際機械搬入等のため後年開かれた道であることは明らかで、昔の峠道ではないことをお断りしておく。

1975年の亀穴峠1975年春の新屋峠
前回の小柏峠の写真と同じ日に撮った写真。天引側は峠からすぐ急傾斜となるため、この写真は日野側から天引側を眺めた写真と思われる(確かな記憶はないが・・・・^^;)。
古いネガからのスキャニングのため色合いがちょっとおかしいが、その辺はご勘弁を。
 
 
下写真は上鳥屋集落直下の砂防ダム横にある石仏群である。
ニリンソウに囲まれた石仏前にはいつ頃作られたのか古い石垣が山中に広がり、山道をわずかに登ると更に古い石仏がいくつか転がっている。いわれは分からないが、何らかの宗教的な場であったことは間違いないだろう。
ニリンソウ咲く石仏群 石仏アップ
左) ニリンソウ(白い点々)咲く石仏と山道入口。左に3体の石仏、中央が山道、右端に石垣が見られる。
右) 石仏のアップ
苔むした石仏 他の石仏群
左) 苔むした石仏?。まったく苔に覆われているが輪郭から石仏には違いない。苔を落とそうと思ったがヤボなことはやめた。
右) 山道奥の石仏群。更に付近にはこのような石仏が転がっている。
 
更新 2014年12月 5日
更新 2014年 4月19日
新規アップ 1997年
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