精工舎石原町/8インチ金縁八角掛け時計
最終更新 2012年 9月 1日
 
トップ画像
概略寸法 全高47cm×幅30cm×厚み12cm
文字板 8インチ/後年貼り替え紙文字板(オリジナルはペイント)
仕 様 8日巻/渦ボン打ち
時 代 明治25〜26年
 
精工舎(服部時計店)は明治25年7月、創業者服部金太郎により東京市本所区石原町に産声を上げます。初めて時計製造に成功したのは9月頃と伝えられ、早くも翌年12月には同区柳島町に移転します。したがって石原町工場としてまともに動けたのは実質1年前後といったところでしょう。
石原町工場の家内工業的製造から、柳島町工場では動力を導入し本格的な時計製造が始まります。工場移転後の発展は目覚ましく、10年を経ずにして早くも国内トップクラスの大時計メーカーに成長しています。今や世界に冠たる「SEIKO」ブランドとなったセイコーホールディングスの礎は、この頃より着実に築かれ続けて来たと言っていいでしょう。

この時計はその精工舎創業直後石原町時代の8インチ八角掛け時計です。住宅街にあった石原町工場では騒音や振動を発する動力の導入が許されず、人力によりはずみ車など回して工作を行ったと伝えられとても大量生産という訳にはいきません。はっきりした記録はないようですがその設備や期間、人員からすると軌道に乗った時点で平均10数台/1日と言うところでしょうか? 1年300日稼働として多くても5000台には届かないでしょう。そのうち現在まで生き残り且つ動作品となると、まったく根拠はありませんが1割にははるかに満たないんじゃないかと思われます。特に首都圏では精工舎地元ながら関東大震災や戦時中の大空襲を経てきたため、同社大正中期以前の時計は少ないのではないでしょうか?

残念ながら文字板は後年張り替えの紙文字板ですが、他は筐体、機械、振り子室ラベルなど石原町製を示す重要部の多くはオリジナルのままと思われます。石原町として紹介される時計の多くは張り四つ丸やボタン八角ですが、こちらは珍しい?金縁の八角掛け時計です。米 Welch や京都時計によく見られる八角部周囲が段付で板厚となり、その段付部分に金彩を施したやや派手目の時計です。
こんなバージョンもありました!と言うことで、既出項と合わせてご覧いただければ幸いです。
 
 
入手時外観
入手時状態

本体となる箱部分が普通の合長時計より幅広で、8インチと小型ながら全体にガッチリした印象を受ける時計です。

金箔の剥がれは経年からして致し方ないとして、前面平板部分はツヤ消しのような感じ。側面は普通の光沢塗装面で全体に目立つ当たりや傷もなく、経年からすれば十分良好と言っていいでしょう。付属してきた巻き鍵はオリジナルではなく後年物と思われます。

裏面も経年の雰囲気ですが、よくあるスス汚れ、ヤニ汚れでまっ茶に変色している訳ではなく比較的きれいです。柱ではなく壁面に長く掛けられていたのでしょう。中央左の薄くシミとなってる所に下写真の書き込みがあります。
 
金縁外観と部品等
金縁外観と部品等

1世紀を経てきた経年色たっぷりですがそれなりに金箔も残り、時代経過からすればまずまずの状態ではないでしょうか?

前述のように金縁以外の前面はツヤ消しのような状態で、拭き掃除のたび金箔共々薄くなったり、溶剤で清掃された履歴があるのかも知れません。ひょっとして分解補修されたのかとも思いましたが、特にそれらしい形跡は見つかりませんでした。

文字板の内枠(飾り環)は角の立った精工舎最初期のタイプです。
裏面に2個所、同じ書き込み(と言うよりサインみたいな?)があります。3/235とも読めますが意味は分かりません。
掛け金は長円形1本締めで、精工舎初期ではもうお馴染みの仕様ですね。筐体の切り欠きも左右を切って平ノミで削り取る初期と思われる仕上げとなっています。
 
文字板と修理歴
文字板と修理歴

8インチ文字板は後年の貼り替え用紙文字板に替わっています。

ところが裏面を見ると、紙とは違うペイント跡のような白い痕跡が斑にほぼ全面に残っています。どうやら、貼り替えた時に表裏を逆に貼ったように思われます。

書き込みは共に鉛筆書きで「34 10 20」、「本」または大阪市の市章のような字か記号が3個所。更に「42 ???」などとあります。はっきりとは断言できませんが、34や42の数字列はシミや汚れの下に、記号3個所のうち2個所は白ペイント残りの上から書かれているように見えます。
 
入手時機械
入手時機械

既出項と同じと思われる精工舎最初期の機械です。

パッと見目立つ傷みは無いようですが、時計側の2番車軸受けに強くガタ止め補修がしてあります。また、振り竿は後年の交換用竿に替わっていました。刻印のない角切り地板で、ボン打ちの数取車がゼンマイの同軸ではなく上に付きます。
筐体八角部の板厚が厚くなってる分文字板との距離も離れ、それを補うため機械の下に横板の下駄を履かせて高さを合わせています。
 
筐体
筐体

下駄のネジ穴は左上が1個所、他は2個所ずつ空いており、バカになった穴を避け足を回した範囲に留め直されてきたものと思われます。筐体と機械でオリジナルの組み合わせとは思いますが、断言するのは避けておきましょう。その下駄は膠で接着されています。

振り子室ガラスは枠から外された様子のない透明ガラスです。普通は金彩の周囲に黒塗装なのですが、良く見ると内面に丁寧に落とされたような跡がありました。経年でポロポロなっちゃったりして剥がされたんでしょうね。
 
ボンと振り子室ラベル
長音記号付き振り子室ラベル
ボンと振り子室ラベル

よく見るネーム入りドーム型ボン台に細目の5重巻き渦ボンが付き、振り子室ラベルはほぼ完璧に残っています。

石原町製のボン台は既出の名無しと、この時計の「SEIKOSHA TOKYO JAPAN」の名入りの2種類があるようです。名無しのボン台は稀なようで、精工舎としてはその後も含めこちらの方が遙かに一般的ですね。
渦ボンは5回転巻きと長さはありますが比較的細い線で、「ビ〜ン」と不協和音的に響きます。この頃の精工舎時計はハンマーが右写真のようなドーナツ状の金属製で、渦ボンの細さと相まってこのように響くようです。この手のハンマーでは打面がRの金属同士の当たりとなり、スイートスポットで打たないと(ゴルフと同じでハンマーとボンが微妙に擦れる?)このような不協和音が出るのでは?と想像しますが・・・・。もちろん、ボンが緩んでいたり、ハンマーと近すぎる時も同じように歪みますけどね。
なお、まっ茶に錆びていたボンはミシンオイルを数カ所に薄く塗っています。

振り子室ラベルは大変状態良く完璧と言っていい状態で残っています。石原町時計として良く見る SEIKOSHA の「O」の字上に長音記号の付くタイプです。上写真はストロボ光で全体に白っぽく見えますが、目視では下の自然光写真のように見えます。
 
機械
機械

筆者としては珍しく、一応動作品での入手です。

ってことで、機械に目立つ問題はなさそうです。前述のように時計側2番車軸受けに強めの補修がある程度。洗浄&注油のみで新たに手を加える部分はありません。

精工舎の初期機械はボン打ちタイミングがかなり早く、米 Seth Thomas のように1秒以下の周期でボンボンボンボンと忙しなく連打します。あまりに早すぎて、「今いくつ打った?」なんてしばしば。それを嫌ってか打ちスピードを遅らせるため、エアーダンプの羽がよく曲げられています(上写真や下写真で左上の黒く見える羽根部品)。
 
機械裏面
機械裏面

左右共に2番車軸受けにガタ止め補修が見られます。他に目立つガタや修正は見られず、こちらもよい状態だと思います。
 
筐体補修
筐体補修

筐体右上の八角部と箱の間に大きな隙間があり、塞ぐように補修しました。

筐体右上角と八角部の間に4mm程度の隙(左上写真)があり、多少のがたつきと天面だけに埃の侵入も気になります。そこで文字板下の通常見えない部分で木ネジ留めもしましたが、多少の反りもありそれだけではちょっと心許ない感じ。それではと直角三角形に切ったコマを用意して、木工接着剤で角の3面を接着補修しました。オリジナル性か実を取るか迷う所でしたが、筐体内側の見えない部分でもあるので今回は実を取った補修です。
 
針


針はごく普通の当時物と思われます。

この種の部品に交換された物が多いのは既出項の通りですが、形状的に他の同種時計と同じであるとは言えそうです。他の時計を見ても精工舎初期の短針は先端が唐突に角切りされています。相向かいの2本取り金型だったのかな? 長針は大概面取りされていますが、角切りの針もあり共存しているようです。
一応、設計を本業とする筆者としては工業製品を見るたび、「はて?どうやって作ったのかなー?」っと、ついつい目が向いちゃいます。射出成形業者がプラスチック成形品を見るたびゲートはどこだと探し回り、プレス加工業者が金属部品を見るたびスケルトンを想像しちゃうのと同じです。これも職業病?

また、長針は進み方向に1〜2分曲げられていますが、ボン時間合わせのためと思われよく見かけます。名古屋時計 参照
曲がりを直し、ウェスで拭いて薄く油を塗っておきました。
 
振り子
振り子

振り子は今回も手持ちの精工舎振り子に交換しました。

付属してきた振り子は右上のくすんだ物で直径実測約64mmあります。しかしこの種の取り外し可能な部品でオリジナル性の確認が困難なことは、こちらも既出石原町時計の通りです。そこで今回も手持ち精工舎の振り子の中から古いタイプと思われる左のもの(直径約57mm)に交換し、付属振り子は清掃メンテを行い保管しています。
 
ガラス
ガラス

文字板ガラスはきれいな切断面の丸ガラスで、専用の交換ガラスか他の時計からの移植でしょう。多少揺らめく程度の弱いゆらゆらガラスで、それほど古いものではなさそうです。
振り子室扉ガラスは強いゆらゆらガラスで当時物と思われます。扉共々目立つ欠点はなく良い状態です。
 
試運転
試運転

1回のゼンマイ巻き上げで1週間以上調子良く動き、まずは動作に問題ありません。既出時計同様ほとんど手作り状態の時計ながら時間もよく合い立派に実用となります。振り子の振れ幅も重錘の左右が振り子室窓に軽くかかる程度と元気によく振れ、メンテを怠りなければまだまだ1世紀くらいは生きてくれるでしょう。
 
トップ画像からもこの写真からも想像できますが、金縁(金箔張り)の時計は独特のオーラがあります。なんてことない八角合長でも、それが金縁となるだけで格段に目立つ時計となるものです。その派手さ故に好き嫌いは別れるところとして、一般的な木地塗り仕上げと比較し高級品であったことは間違いありません。

⇒金縁(金箔張り)時計について
 
新規追加 2010年 7月 1日
 
HOME       BACK